ロヒンギャ難民-マレーシアへの旅路-
夜9時ごろ、われわれ無国籍ネットワークユースのメンバーは、羽田空港国際線ターミナルに集合した。大学生の旅に格安航空券は欠かせない。11:45分発のエアアジアに乗り込み、機内で一夜を明かす。どこでも寝れる人間で良かったと心から思う。私が目を覚ました時、飛行機は既にマレーシア上空にいた。
飛行機を降りると、慌ただしく朝食を取りタクシー乗り場へ向かう。車に揺られること45分ほど、目的地のホテルに辿り着いた。ドアを開けると一人の男性と目が合う。お互い「あっ」となった。ジアウルラフマンさん、無国籍ネットワークユース主催の写真展に招かせていただいた鶴颯人さん(立命館新聞記者・「ロヒンギャへの道」を連載。)が取材をしていた方だ。その関係で連絡先を持っており、やりとりをしていた。今回、マレーシアのロヒンギャコミュニティを訪問させていただくにあたってコーディネートを依頼したところ、「私たちのことを知ろうとしてくれて、ありがとう」と快諾して下さった。
荷物を預け、ロビーの奥にあったテーブルへ移動した。彼の方から一時間ほど、彼自身の体験とマレーシアにおけるロヒンギャの人々の生活について話を伺うことになっていた。爽やかな笑顔の裏には、計り知れない苦難の数々があった。
難民として生きてきた体験を語るジアウルさん。クアラルンプールを拠点とするロヒンギャ人権活動家だ。
1993年7月、ミャンマー西部ラカイン州ブディタウン群で生まれた。しかし、ミャンマーでロヒンギャとして生きることには、差別と迫害がつきまとう。ジアウルさんの家族も例外ではなかった。ジアウルさんの父は農家だったが、週に少なくとも三回、軍の雑用や村境の警備を強制的に命じられていた。給料が支払われることは無かった。ジアウルさんの父が命令を拒否したところ、次の日に兵士が家に現れ、ジアウルさんの父を拷問したという。その後も、兵士による暴力は止まなかった。
命の危機を感じたジアウルさん一家は、バングラデシュに逃れた。しかし、彼が2歳の時、父は家族を捨て、出て行ってしまったという。命からがら辿り着いた難民キャンプだったが、そこでの生活もまた厳しいものだった。今でこそ、国際社会から莫大な額の支援がなされているロヒンギャ難民キャンプだが、「当時はそれほどサポートが充実していたわけでは無かった」とジアウルさんは振り返る。
そうした苦しい生活の中でも、ジアウルさんは勉強に精を出した。NGOなどのトレーニングを受け、13歳の頃から社会活動を始めた。次第にキャンプ内で、若者のリーダー的存在になっていったという。得意な英語を活かし、教師の仕事もしていた。それでも、大学を卒業することは叶わなかった。ダッカにある公立バングラデシュオープン大学(通信制の大学)に進学するも、経済的理由により2カ月で学位取得を断念せざるを得なかった。
難民キャンプの学校で英語ジアウル教師をしていた時のジアウルさん。
(写真:本人提供)
困難に直面しながらもキャンプで奮闘していた彼を、21歳の時、悲劇が襲った。いつものように難民キャンプを歩いていた彼は、突然何者かに暴行を受けた。目隠しをされ、後ろで手を縛られると、ナフ河の近くに連れていかれた。彼を襲ったのは人身売買業者だった。そのままボートに無理やり乗せられた。隠れるようにしてボートがマングローブ林の中を進む中、水も食料も与えられず、目の前で、人が飢えにより亡くなるのを見届けた。5日間の航海だった。
その後、運よくタイ当局が船を拿捕したが、彼の苦難はそれで終わらなかった。タイ政府のシェルター職員が腐敗していたのだ。人身売買の被害者である彼に1700USDを要求し、払えないならば水も食料も与えないという有様だった。他の被害者と共に、なんとかシェルターを抜け出した彼はようやくマレーシアにたどり着いた。
人身売買船から解放された後の写真。シェルターの腐敗という更なる苦難が待ち受けているとは思いもしなかっただろう。
(写真:本人提供)
誘拐されたあの日以来、ずっと会えていなかった妻のゾハラベガンさんと娘のシュミちゃんをバングラデシュから呼び寄せた。ゾハラベガンさんは、ジアウルさんがもう死んでしまったと思っていたという。マレーシアに来てから長男のサイフル君を授かり、通訳などの仕事をして生計を立てながら、人権活動家として、精力的に発信を行っている。2017年には、彼を追った短編ドキュメンタリー、『Selfie with the Prime Minister』が制作された。また、彼の半生を綴った自伝『Survivor -A Rohingya Refugee’s Journey to Malaysia-』が出版予定だ。
しかし、マレーシア政府が、難民条約に加盟していないためジアウルさんたちの法的な立場は「不法移民」である。身元を証明できるのは、UNHCRカードのみで、マレーシア政府公認の書類はない。二人の子供をローカルスクールに通わせることができないだけでなく、自宅近くに難民の子供のためのラーニングセンターがないため、ジアウルさんが自宅で勉強を教えているという。法的に曖昧な立場ゆえにあらゆる障害に直面しているのだ。
クアラルンプール中心部のショッピングモールにて。子供たちは遠足気分。「手を繋いで」とお父さんお母さんだけでなく、私たちにもジェスチャーしてきてくれて、とても微笑ましかった。
「カナダに移住して、国際的に人権活動家として活躍したい。そしてバングラデシュで暮らす母に、会いに行きたいんだ。」
そう語った彼の眼はまっすぐだったが、どこか寂しげでもあった。
現在、バングラデシュの難民キャンプでは、インターネットが遮断されている。そのためビデオ通話すら、ままならない。ただロヒンギャであるというだけで、赤ん坊のときに故郷を追われ、人身売買に遭い、しまいには家族と切り離された。納得できる理由など何もない。
ジアウルさんのお母さん(左)と幼いころのジアウルさん。キャンプから連れ去られてから、五年半もの歳月が流れてしまった。
(写真:本人提供)
ジアウルさんに言われた、忘れられない言葉がある。
「君たちは最もラッキーな人たちだよ。だって昨日は日本にいて、今日はマレーシアにいるだろう?」
自分が、いかに恵まれた人間か、改めて実感させられた。そして、「他者」でしかあり続けられない自分に辟易するのであった。一瞬、彼らの日常にお邪魔させていただき、その苦悩に声を傾けるが、また日本での何不自由ない生活に戻る。そんな繰り返しだ。
しかし、一度知ったからには無視することはできない。自分の友人が、何か困っているのを知ったら、力になりたいと思うし、多くの人に知ってもらいたいと思うはずだ。正直、急に大きく何かが変わるとは思えない。それでも、「日本の人に伝えて欲しい」という彼らの声を、一人でも多くの人に届けていくしかないのだ。
「そろそろお昼を食べに行こうか」とジアウルさんが言い、われわれは近くのマレー料理屋に行くことにした。お店の人がご飯を皿にのせてくれ、その上に好きなスープカレーを選んで自分でかける。ジアウルさん一家に倣って、右手を使って食べてみたが、なかなかいけるものだ。段々と、どう手を使えばうまく食べれるのか分かってくる。私たちが手を使って食べているのを見て、ジアウルさんも少し嬉しそうだった。
われわれが、箸を上手く使う外国の方をみたときと同じ感情なのだろうか。郷に入ったら郷に従えとは、時代をとわず万国共通で通じる至言のようだ。なんだか距離が近付いた気がして、こっちも気分が良くなった。
ジアウルさんの奥さんとお子さんとはホテルで別れ、車を呼ぶ。次の目的地は、ロヒンギャの子供が通うラーニングセンター。どうやらその学校へはジアウルさんも初めて行くということだった。友人が働いていて、訪問を承諾して下さったようだ。
難民の子供はどのような環境で学んでいるのか。先生たちはどのような思いで教壇に立っているのか。分からないことばかりの「未知の世界」を知りに、車に乗り込んだ。
[ジアウルさんからのメッセージ(字幕付)]
執筆・写真|鳥尾祐太
動画字幕 |井戸美月
【次回の記事は、ロヒンギャの子供が通うラーニングセンターの取材をもとにしたものです。先生たちの教育にかける熱い気持ちと現実を伝えます。】
お手数をお掛けしますが、記事へのご意見、ご感想はstateless.youth@gmail.comまでよろしくお願い致します。
クラウドファンディング
ジアウルさんは現在、カナダに移住するためにクラウドファンディングを行っています。「Every dollar can change our life🙏」とのことです。ご協力いただける方は下記のリンクより、よろしくお願いいたします。
資料
ジアウルさんを追った短編ドキュメンタリーです。ぜひご覧ください。
(日本語字幕はございません)
文中で触れた、鶴颯人さんによる連載です。ロヒンギャ問題とは何かについて知りたいという方は、ぜひお読み下さい。大変密度の濃い内容となっております。
**無国籍ネットワークユースとは?
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2014年に早稲田大学の学生を中心に結成された団体。無国籍者が希望を持てる社会作りに向けて、多くの人々に無国籍について知ってもらうことを目指し、活動を行っている。2018年から、NPO法人無国籍ネットワークとの共催で、巡回写真展「われわれは無国籍にされた-国境のロヒンギャ-(狩新那生助氏・新畑克也氏)」を早稲田大学、館林市(在日ロヒンギャコミュニティがある)、東京大学で開催。また2019年12月には「US~学生が見たロヒンギャ~(城内ジョースケ氏・鶴颯人氏)」を主催(NPO法人無国籍ネットワーク共催)。ビルマ近現代史研究者の根本敬教授(上智大学)、在日ロヒンギャ協会のゾーミントゥ氏による講演会も行った。また、勉強会やフィールドワーク(マレーシア・サバ州の無国籍コミュニティ、クアラルンプールのロヒンギャコミュニティ訪問など)を通して、自らの無国籍問題への認識を高めることに努めている。大学(院)・学年問わずメンバー募集中。
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