データは21世紀の石油ではなく、再生可能なユーザー体験の副産物である
※この記事は、ブログリレー企画 #SaaSLovers 秋のブログ祭りへの6日目の寄稿です。
ベンチャーキャピタリストという職業柄(&Treasure Data出身というキャリア柄)、起業家や大手事業会社の方から「データを使ったビジネスを検討しているので意見が欲しい」という相談をもらうことがよくあります。
ただ、人によってはそもそもデータというものの特性や位置付けについての前提認識が違うように感じることも少なくなく、それを揃えておいた方が建設的/発展的な議論がしやすいなと思うこともしばしばなので、今日は「データとはどういったもので、どう向き合えば良いか」という基礎的なテーマについて私見を綴ってみたいと思います。
要旨(結論)はタイトルの通りです。
データが「21世紀の石油」と言われる所以
この言説がいつ、誰によって誕生したかはわかりませんが(もしご存知の方いれば純粋に気になるので教えてください)、キャッチーなメタファーとしてメディアやIT界隈でよく引用されるフレーズですよね。
なるほど確かに、一定の共通項は認められます。例えば、
・原初状態のままでは活用できず、精製/加工して初めて価値が出る
・備蓄には専用設備が必要でありコストもかかる
・流出させるとエコシステム全体に大きな悪影響をもたらす
・生活を送る上で不可欠なライフラインの原資として普及している
・サプライチェーンを押さえた企業が市場で高い評価を受ける
といった点で両者は通底しています。そして、上記のようなわかりやすい共通項やフレーズとしての伝播のしやすさから、「データ活用」や「データビジネス」を石油ビジネスと同質のものとして捉えてしまう人が多く生まれてしまっているようにも感じます。
ただ結論から言うと、石油とデータには共通項はあれど、ただ一つの決定的な違いが両者の間を明確に隔てているように思います。
サプライチェーンに見る、石油とデータの根本的な違い
その決定的な違いとは、ずばり資源としての有限性の有無です。理解を深めるために、石油とデータそれぞれのサプライチェーンを見てみましょう。まずは石油から。
特徴的なのは、1の「原油採掘」工程です。そもそも石油のもとになる原油を採掘できる地域は、サウジアラビアやUAE、カタールといったいわゆる産油国に限定されます。
日本においては石油の80%超を中東からの輸入に頼っていると言われます。すごい依存度ですね...。なぜこういう事態が起きるかというと、シンプルに資源としての原油の有限性に起因すると。したがって石油で商売をしようとした場合に最も強いのは原油が取れる産油国ということになります。
そして、一度敷かれた川上〜川下のサプライチェーンが構造的に固定しやすいのも石油ビジネスの特徴です。川上が最も強く、川下に近づくにつれてパワーが弱くなっていく/コントロールを失っていく業界構造ですね。
続いて、データの場合を見ていきます。
ご覧の通り、2〜4の工程は石油のサプライチェーンとほぼ同様で大きな差異はありません。石油と異なるのは、1の「生成」工程です。原油が自然界に「元々存在する」あるいは「自然に発生する」一方で、データはウェブ上またはアプリ上に敷かれた何らかのユーザー体験の「結果として発生する」ものであるというのが重要な点です。
もちろん、データそのものに値付けをして企業向けに販売するDMP(データマネジメントプラットフォーム)事業者のような石油に近いビジネスモデルも存在しますが、3rd Party Cookieの息も絶え絶えな今、データビジネスの主戦場からは少なくとも遠ざかりつつあります。
ポイントとしては、原油の産出量は自然界の制約を受ける一方で、データの生成量はその限りではないということです。川上川下のアナロジーでいえば、川そのものを自ら作り出せるのがデータ(ソフトウェア)ビジネスの大きな特徴と言えます。さらにはその川を作るのに、地盤も利権も要らないときている。「かわいいは作れる」ならぬ、「油田は作れる」状態な訳です。
例えるのであれば石油ではなくむしろ再生可能エネルギーの方が近いのではないかと思います。有限な資源の希少性を価値の源泉とするビジネスと、資源そのものを生み出す設計能力を価値の源泉とするビジネスの差。この差は決定的に大きい。
データはユーザー体験に従属する
データに関してよく言われる定説は、「データを集めること自体にはさほど価値はなく、そこから見出せる示唆や新たな視点にこそ価値がある」というものですが、個人的には異なる見方をしています。示唆を得るに足る十分なデータを集められる製品/事業環境を作れているか否かで勝負は決していると、前職の経験を踏まえても強く思うからです。この点は自戒も込めて常に意識し続けたいポイントです。
個人的には、データは良質なユーザー体験の副産物でありその逆ではないと考えています。主産物はあくまでユーザー体験であり、データはその付属物である。主従でいうと、ユーザー体験が主でデータは従だと思うんですね。このことの重要性は強調してもし切れないなと最近改めて感じます。ユーザー不在のデータ論議ほど無価値なものはない。
データは、良質なユーザー体験を提供し続ける事業者の元に自然と流れ込んでくるものです。実際に、有益なデータを多く保有する企業群を思い浮かべるとすべからく良いUXによってユーザーを惹きつけていることが解ります。
AppleはSoftware-Centricなコンピューターの利用体験を、Googleは効率的な情報探索体験を、AlibabaやWeChatはモバイル決済を中心とした新たな生活体験を、Pinduoduoはソーシャルでスリリングな消費購買体験を、エムスリーは医師と医薬品の出会いの体験を、それぞれ高い水準で設計・提供しているからこそ世界最大級の「データビジネス」業者になっている訳です。
もちろんデータがあらゆるサービスのUX向上に寄与することに疑いの余地はないですが、改善の元になるデータは良いUXがあって初めて収集可能なのであり、その逆ではありません。B2CもB2Bも、HorizontalもVerticalも、SaaSもMarketplaceも関係なく、全てのソフトウェアビジネスにとって重要な視点だと思います。
改めて、データは「そこにあるもの」ではなく「ユーザー体験という主産物を提供する過程で副産物として生まれるもの」という意識を強くしたいところです。持つものと持たないものとが構造的に分かれ、アービトラージが効く石油のような商材ではなく、日常的に再生可能なエネルギーであるという視点ですね。
またこれは僕自身の仮説なんですが、ユーザー体験の設計力とデータの活用能力は概ね比例します。データを事業成長のエンジンにしたければ、ひたすらユーザー体験の設計力を磨きこめば良い。ユーザー体験の設計力とは何かと言えば、ユーザーの心理欲求や課題背景、行動導線やその誘因に対する集中力と洞察力、これに尽きると思います。
おわりに
冒頭でも触れましたが、普段はシードアーリーステージのスタートアップへの投資/成長支援をしています。この記事を読んだ上で、それでも「再生可能なデータビジネスを検討したい!」という方はぜひお話をさせてください。Twitterもやっているので、もしよければフォローいただけると嬉しいです。
また、この記事はブログリレー企画 #SaaSLovers の寄稿(6日目)です。7日目の次回は、元HubSpot Japanの1号社員でありマーケティングエキスパートの戸栗さんです。引き続きお楽しみに!
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