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米津玄師さんの歌詞の解釈の話。

シンガーソングライターとして大活躍の米津玄師さん、昨年は作詞作曲プロデュースした曲が2曲紅白で歌われました(Foorin『パプリカ』、菅田将暉『まちがいさがし』)ね。
私は米津さんの歌詞がとても好きなのですが、これはどんな描写なのだろうか、どんな想いが込められているのだろうか、と深読みしたくなる詞だからこそ惹かれるのかも知れません。

パプリカ(Foorin、米津玄師)

米津さんもセルフカバーしている『パプリカ』は、世間的には明るく元気な曲だというイメージが強いと思いますが歌詞をたどると何だかノスタルジックな気持ちになります。

夏がくる 影が立つ
あなたに会いたい
見つけたのは一番星
ああ 明日も晴れるかな

一番のこのフレーズ。
「あなた」は誰なのでしょう?

喜びを数えたら
あなたでいっぱい
帰り道を照らしたのは
思い出の影法師

ここにも出てくる「あなた」。
喜びや思い出を共有する間柄である事、そして今は会えない人である事がわかります。

そして、クライマックスの大サビ。
たくさんの花を持って会いに行くのは、きっと「あなた」です。

会いにゆくよ 並木を抜けて
歌を歌って
手にはいっぱいの花を抱えて
らるらりら

これを踏まえてサビの歌詞を聴いてみると、不思議な感覚に陥ります。

パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種を撒こう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせ あなたに届け

米津さんバージョンのミュージックビデオは、この曲の持つノスタルジックさが強調されています。歌もFoorinバージョンとはまた違う、短調を取り入れたりした「米津節」です。

私は米津さんバージョンのミュージックビデオを見た時、第一印象で「日本のお盆ってこんな感じなのかな?」と感じました。
不思議な子供と出会った少年少女が、大人になり再びその子と出会います。会いに行くのです、腕一杯の花を抱えて。

どんな解釈にもなり得ますが、「2020応援ソング」というコンセプトとは裏腹の、どこか懐かしさを感じさせる曲を米津さんが作った意図を考えてみたいのです。

まちがいさがし(菅田将暉)

この曲の制作秘話は、菅田君のラジオ(菅田将暉のオールナイトニッポン)で少しだけ聴いてはいるのですが、受け止め方はそれぞれだと思います。
ラジオによると、米津さんの「自分はまちがいさがしの間違いの方を生きているんじゃないか」という一言がきっかけで生まれたのだそうです。

まちがいさがしの間違いの方に
生まれてきたような気でいたけど
まちがいさがしの正解の方じゃ
きっと出会えなかったと思う

最初のフレーズが、直球でこの曲のテーマとなっているのです。

この曲はラブストーリーであるドラマ『パーフェクトワールド』の主題歌になりましたが、恋愛だけではなく人生を歌っているのだと私は思います。

正しくありたい あれない寂しさが
何を育んだでしょう

一つずつ 探し当てていこう
起きがけの子供みたいに

「まちがいさがし」というゲームのように、人生に正解があるとして、それに沿って正しく生きられる人間がどれだけいると言うのでしょう。正解の通りに生きられないからこそ、出会えるもの、育めるものがあるのです。

君の手が触れていた
指を重ね合わせ
間違いか正解かだなんて
どうでもよかった

この歌詞の主人公がそう言い切れるのは、大切な存在である「君」に出会えたからでしょう。

そして、それは米津さんや菅田君もそう思っているのかも知れません。普通の人のようには生きられていないけれど、大切な友人であり音楽仲間であるお互いに出会えた事や、お仕事などを通じて出会えた人々の事を想って作り、歌っているのだと思います。

瞬く間に落っこちた 淡い靄の中で
君じゃなきゃいけないと
ただ強く思うだけ

そして、この歌を聴いた人々それぞれの「君」は誰なのでしょうか。
愛する誰かであり、大切な存在であり、『まちがいさがし』という歌を届けてくれた菅田君や米津さんなのかも知れません。

「菅田将暉が歌うのでなければ意味のない曲を作りたかった」と言った米津さんが選んだ『まちがいさがし』(実際、もう1曲候補がありそちらに決めかけていたとラジオで話していました)。
菅田君にしか歌えない、届けられない想いを託した米津さんに、菅田君のファンとしては感謝せざるを得ません。

灰色と青(+菅田将暉)(米津玄師)

私が初めてきちんと聴いた米津さんの曲なので、とても思い入れがあります。
ミュージックビデオでは、米津さんのパートの歌詞を灰色で、菅田君のパートの歌詞を青で表示しています(菅田君パートの青い文字が背景の黒に隠れてしまって勿体無いと思うのですが……)。

君は今も あの頃みたいにいるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿ばかしい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい
君は今も あの頃みたいにいるのだろうか
靴を片方茂みに落として探し回った
「何があろうと僕らはきっとうまくいく」と
無邪気に笑えた日々を覚えている

同じメロディーに乗せて歌われる言葉は、正反対です。
「灰色」米津さんは幼い日々を虚しいと言い、「青」菅田君は懐かしく振り返っています。

米津さんは、この曲を映画『キッズ・リターン』からインスパイアされて作ったのだそうです。幼き日を共に過ごした2人の男が、別々の道を歩んで行く姿を描いた物語だとか(見た事ないんです、すみません)。
そして、菅田君の歌を聴き「この人となら美しいものが作れる」と直感して会いに行ったそう。初対面の時に米津さんが緊張し過ぎてベロベロに酔っ払っていた、というのは菅田君ファンにとって語り草になっています。

今さら「悲しい」と叫ぶには
あまりに全てが遅すぎたかな
もう一度 始めから歩けるなら
すれ違うように君に会いたい

2人はもう二度と会えないのかも知れない。ミュージックビデオでも米津さんと菅田君は同じ場所で歌っていますが、並ぶ事はありません。

どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う 今も歌う 今も歌う

2人それぞれのパートで唯一同じ言葉を歌うサビの歌詞ですが、そこに込められる想いはきっと違っているのだと感じました。
「灰色」は郷愁と寂しさ、「青」は失いたくない若き日の感情。米津さんの優しい歌声と、菅田君の力強い歌声が、同じ言葉に全く違う意味を持たせているように思えてなりません。

色のイメージとして、「灰色」と「青」にはどのようなものがあるでしょうか。
灰色は、大人びた落ち着きや曖昧さ。
青は、新鮮な若さや未熟さ。
米津さんはそれをわかっていて、この2つの色をタイトルにしたのだと聴けば聴く程に思います。

言葉と感性で曲を聴く

私は言葉に関するこだわりが強いのか、歌を聴く時も歌詞が好きかどうかで選んだりする傾向があります。
歌詞から物語を連想したりする事もあり、好きな曲をテーマにひっそりショートストーリーを書いていた事もありました。

こんな楽しみ方は理屈っぽくて面白くないと思われるかも知れませんが、歌詞、メロディー、編曲、歌声が合わさって1つの曲になるのだと私は考えているので、これでも良いと思うのです。


※画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りいたしました。ありがとうございました。

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