そこ、真面目にやれ(理論における知的怠惰、もしくは不誠実さについて)
(https://x.com/nhk_netadori/status/1448976749472227332より引用)
(https://x.com/futodoki/status/1860338542318354527より引用)
(https://x.com/futodoki/status/1860669269404717426より引用)
これらのtweet。
非常に知的に不誠実だと思うんですよ。
言うまでもなく、遅刻と不法滞在、合法な滞在と不法滞在、移民と不法移民は全く違います。
もしこれの違いが分からないというなら……さすがになんというか、ちょっと……もう少しお勉強するか、自分の順法意識に疑問を持つべき。
ただ、さすがに分かってないということは無いと思うので、この手の主張をする人たちは意図的にこれらを混同している、という前提で書きます。
……意図的ですよね?そうですよね?
全く属性が違うものを意図的に混同して自説を展開する、という文脈は明らかに、読み手・聞き手に錯誤を抱かせることを意図した文脈です。
相手を騙そうと意図した文脈は、端的に言うと、詐欺師と同じです。
要するにこういう文脈を展開するのは、自説は「正しい」……この場合は、
不法でも移民は保護されるべきであり、不法の部分を殊更に批判するのは人道的でない、その部分には目をつぶって保護するのが「正しい」
という考えがある。
そして、そのためになら、異なる属性を混ぜて聞き手・読み手を騙しても構わない、と考えている。
だから、こういう文脈を使うわけでしょ。
でも、自説を語るためには相手の騙しても構わないというのは明らかに
知的に不誠実
な態度です。
ついでに言いますと、正当に論を展開して聞き手・読み手を説得できないんですよね。
もしくはその手間を惜しんでいるわけですから、
知的怠惰
でもあります。
……もしその辺の意識が全くなくて、この文脈の問題に何の疑問も抱かないなら、マジで自分の中の党派性に自覚的になってください。
看板には社会正義って書いてあるんでしょうけど、あなた方の使っている文脈は詐欺師のそれと同じです。
「正しい」のためなら周囲を騙すのもやむなし、我らは必要悪なり、という覚悟なら、それはそれでアリだとは思います。
ただ、人を騙すにしても、もう令和のこのご時世ではこんな
「かわいそうな不法移民」と「邪悪な排外主義者」みたいな単純二元論
に騙されてくれる純朴な人はそうはいませんよ。
騙すにしても、もう少し真面目にやってほしい。
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前にも書いたんですけど、こういう文脈には一つ大きな危険があります。
この「可哀そうな不法移民」を被害者と位置付ける文脈は、
それを批判する人を「加害者」と位置付ける
タイプの文脈でもあります。
批判している人は排外主義的で狭量である。という文脈。
上のtweetもそうですよね。
不法滞在を批判する人を「『悪い』と言う人」として描いている。
批判者を、「不法性を批判する人」として描くと、その批判はある程度正当性を帯びる。
だから、悪だと言って「かわいそうな移民」を指をさして糾弾する存在だとすることによって、排外主義者のイメージを付けているわけででしょ。
この批判者を悪魔化、加害者化する手法はまことに悪知恵が働いていて、この点においては知性的だと思います。
ああいう風に描かれれば、「不法移民」を批判しにくくなりますよね。
この、他人に加害者性を押し付ける文脈は、極めて攻撃的であり反感を買い易い。
それに、お前は狭量な排外主義者、加害者だ、と呼ばわられて「そうなんだ……僕は……なんて酷いことを」と内なる加害性を自覚して改悛の涙を流す……なんて人はまずいません。
しかも、上で書いた通り、この手の文脈は知的に不誠実です。
不誠実な文脈で人を攻撃すれば二重に反感買いますよ。
当たり前ですけど、たとえ不法滞在であってもその立場に同情する人はいるでしょう。
不法滞在の不法性を批判することと、その立場に同情することは両立します。
しかし、こういう攻撃的な文脈は、そういう同情的な人も敵に回しかねない。
この世界は、選挙という具体的手続きを経なくても、やんわりした多数決で機能しています。
自説を通すためには、世間の共感を集め味方を増やさないといけない。
そして、反感を買う文脈が共感を広げることは絶対にありません。
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それにですね そもそも、
不法移民は不法なんですよ(小泉進次郎構文
なので、不法の部分は批判されても仕方ないでしょ。
これに対する批判まで不当扱いするのは無理がある……というか被害者性に対して強欲に過ぎです。
設定がズレズレなことを理解した上で、上の漫画の例文をあえて用いるなら、遅刻してきた人をいきなり責めはしませんよ。
でも、遅れてきたことを悪びれもしないやつに穏便に事情を聞こうとは思いません。
まずは、「遅れてスマン」でしょ。
その後に、「いや、いいよ、なんかあったの?」じゃないですか?
それに、不法移民にもレイヤーがある。おっしゃる通り。
つまり技能実習生とかで入国したけど、様々な事情で不法滞在になってしまったという人から、母国で迫害を受けてるんです!とか当初から出鱈目言ってる人までいろいろね。
全員を「期せずして不法滞在になった可哀そうな被害者」にするのは無理です。
それに、法律で入国する手段は決まっています。
不法をなし崩しに是としたら、正式に入国し面倒くさい条件をクリアして合法に居住している人はどうなるんですか。
合法的に入国し、日本に居住している移民を虐めるのなら、そりゃ排外主義ですよ。そういう人も確かにいますが。
でも、不法移民の不法部分への批判は排外主義ではない。
移民に関する法律が厳しすぎて、不法滞在の立場に追い込まれてしまっている、というならそういう文脈で論を張るべきでしょう。
それが誠実な議論というものでは?
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個人的に、知能でも知性でもどっちでもいいですけど、これを最底辺まで低下させる思想は
自分は正しい/善である
という思想だと思うんですよね。
この思想に囚われると、世界を二元論でとらえるようになる。
つまり正しい/善なる自分達、間違ってる/悪の自分達以外、という視点で世界を見るようになってしまう。
自説への批判的視座も喪失します。
自分の「正しさ」は自分の中では通用しますが、他の人に通じるかは分からない。
万人に通じる真理、正義の思想なんてものはないです。あるとしたら宗教の中だけですが、それでもその宗教というカテゴリの中でしか通じません。
自分は「正しい」、が前提になると、なぜ正しいのかという理路を構築できなくなる。
これが出来なくなると、自分の正しさを筋道立てて他者に説明できなくなるわけです。
更に言うと、「正しい」んだからという主張で、手段を正当化するようになる……上でやっているようにね。
上で書いた通り、彼らは間違いなく自分たちの主張を「正しい」と思っていますが、やっていることは聞き手・読み手を騙すことを意図した詐欺師の手法です。
当たり前ですけどそれは周りから見れば不誠実な態度です。
ダブスタとみられ、党派性の外の支持を失います。
これは思想の左右は全く関係ありません。
自分の正しさを疑わなくなったら、それは知的に墜落する道
でしょう。
そしてそれは孤立と疎外の道でもあります。
万人に通じる正しさが無い以上、自分の正しさを説明できなければ、賛同者、味方を増やすことはできない。
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心の中に常に少佐を飼っておくべきだと僕は思います。
自分の正しさを信じつつ、相手の「正しさ」の存在を認めること。
自分の正しさを批判的に見て、誰も保証してくれない自分の「正しさ」を論理だてること。
政治的な正しさなるものを無批判に鵜呑みにするのは知的怠惰です。
自分は正しいのか?
そう自分の中で問えることが、きっと知的に誠実な態度だと思います。
ただ、色々と書いてきて言うのもなんですが、僕は知的に不誠実であることが「悪い」とは必ずしも思いません。
不誠実な人間が誠実ぶっているのは、端的に言って虫唾が走りますけどね。