見出し画像

沈黙は金(ワールドカップドイツ戦と共産党)

 
 誰もが予想しなかった(少なくとも前半が終わった時点で完全に敗色濃厚であった)ドイツ戦でのミラクルアップセット。
 その直後に日本共産党議員がやらかしました。

 日本とドイツのサッカー協会の差を見せつけられちゃうし、日本代表は勝っちゃうしで、残念というほかない。 https://t.co/xlhSBzVxWj

— 🇺🇳羽鳥 だいすけ・中野区議会議員(日本共産党)💙💛 (@HatoriDaisuke) November 24, 2022

https://twitter.com/HatoriDaisuke/status/1595582144197189634より引用)

 
 日本が勝っちゃって残念。
 そして案の定大炎上。その後謝罪。


多くの方からご指摘がありまして現在は以下のように思っています。
選手のみなさんは、努力を重ねフェアプレイで全力を尽くして戦ったわけで、その双方に対して敬意を払うことが政治に携わるものとして当たり前の態度でした。「日本代表が勝って残念」という言動は間違いでした。申し訳ありません。 https://t.co/yl3rQTaQIQ

— 🇺🇳羽鳥 だいすけ・中野区議会議員(日本共産党)💙💛 (@HatoriDaisuke) November 24, 2022

https://twitter.com/HatoriDaisuke/status/1595766881130278912から引用)


 この一連の流れで「残念」な点は二点あります。

 まず一点目。

 謝罪したことです。これは悪手。


 だって、わずか一日で考えが変わるなんてないでしょ。唯我独尊の共産党員が。
 スーパー縦社会、上意下達、党は絶対の共産党なんだから、上に怒られたのが丸分かりですよ。総括とか自己批判とか言うんですよね。
 ともあれ、口だけ謝罪が見え見えです。
 
 それにどうせ今後事有る毎に、日本が勝って残念!@共産党のスクショがペタペタ貼られるんですから、謝る意味が殆どないです。

 二つ目。こっちの方大事なんですけど。
 

こういう場面で党の看板を掛けてこういう発言したらどういう反応が返ってくるか、


 と言う想像が全くできてない事です。

 日本を応援しないといけないのか!とかドイツを応援していたら悪いのか、とか、応援を強制されるのは気持ち悪い!偏狭なナショナリズム!とかいう発言は全部的外れなんですよ。
 そもそも誰も強制してませんし、好きな所を応援すればいい。日本が勝って残念!と思うのも自由です。言うのも自由。

 ただし、恐らく日本中がミラクル逆転勝ちで湧いているときに、議員の看板付けてこういうことを言ったらそりゃ反感買うのは当たり前でしょ。
 そのくらいの想像力は働かせましょう。

 そして腹は立っても黙っておくほうがよかった。
 せめて公開議員アカでのtweetは自制したほうがよかった。

 沈黙は金



 どうしても憤懣やるかたないなら鍵垢でtweetするか、自宅の風呂場で叫ぶ(物理的に)くらいにしておくほうが無難でした。

 これ、せめて「ドイツが負けて残念」だったらここまで反感買わなかったと思うので、そこも残念な想像力ですよね。
 そもそも、共産党員が日本を嫌ってる(正確には自分の統治下でない日本、かな)のは別に驚くに値しません。そりゃそうですよね、と言う感じ。

 彼らがなぜこういう発言を自制できないのか。
 それは、彼ら、共産党だけでなくJリベラルのセンセイ方にも共通してますが、の世界観がこんな感じだからです。

 1・自分たちは十全に正しい
 2・1に例外が生じた時は1に戻る。

 彼らの世界観は「自分達が正しい」「正しい自分が愚民を啓蒙しなくてはいけない」と言う感じでしょうか。

 なので、彼らからすると「正しい」ことを言ってるだけなんですよね。
「正しい」んだから弁えて発言を控える必要なんてないし、むしろ愚民どもの啓蒙のつもりだから有難く聞けくらいのもんです。
 反発を受けたとしてもそれは理解しない愚民が悪い、という理路に収束される。

 そはいえ、早々に謝罪するように指示が出たあたり、最近は少し大衆の反応も気にしてるようですね。
 まあしみついた思想をそう簡単には修正できないので、無駄だと思いますが。

 彼らのこの思想をもう少し考えてみると、彼らは「自由」を認めてないんですよね。
 自分たちは「日本を応援しなくてもいいじゃないか!」「ドイツを応援する自由もあるだろ!」といいますけど。

 日本が勝って残念!という発言に反発する自由を認めていない。
 スポーツは政治から切り離されるべきだ、と考える自由も認めていない。

 彼らの言う多様性とかも同じですが、彼らの言うところの多様性や自由や平等は、あくまで彼の「正しい」と認めた範囲内でしか認められません。
 まずは自分達の「正しさ」と言う枠があって、その正しさの範囲内でだけ多様性や自由が認められる。

 その「正しさ」の外にあるものはそもそも多様性でもないし自由でもないわけです。人は自由である。但し我々が正しいと認める範囲内に限る。
 但書付きの多様性、但書付きの自由。

 そもそもその「正しさ」に根拠が無いので、また酷い。


 とはいえ、これって独裁体制の共産党国家にありがちですなので、まあ平常運転かな。

 ていうか、アスリートが政治的主張をすべきだ、なんて彼らは思ってないですよね。
 あくまで「正しい」主張をするべき、としか思ってない。
 だって仮に何処かの代表チームが香港に自由を!フリーチベット!とかいうタグを掲げたら彼らは激昂するでしょ。

 そして、仮にドイツ代表のあの口を閉ざすパフォーマンスが「正しい」ならそれは勝ち負けとは全然関係ないと思うんですよね。
 あの抗議活動は立派だ、とだけ言えばいいじゃないですか。 

 あれはサッカーの試合で決闘裁判とかイデオロギーの成否を掛けた衝突ではないんですから。


 主張の正しさにサッカーの試合の勝ち負けには関係ない。


 負けて正しさが棄損することもないし、勝利によって正しさが裏打ちされることもないでしょ。


 

 個人的にサッカーに限らずスポーツの場で政治的、思想的主張はしない方がいいと思います。
 理由は際限なく争いを拡大するからです。逆効果です。
 戦争反対、くらい普遍的なものならセーフかな。

 だって、同性愛を戒律で禁じている宗教に対して、それを認めるべきだ、というと、今度は信仰の自由と衝突するわけですよ。
 


 どっちが正しいんですか?
 当世の|政治的正しさ(ポリコレ)で言うならLGBTの方が「正しい」んでしょうけど、じゃあ当該宗教の教義は間違いなんですか?
 その根拠は?

 こういう話はしっかり話し合い、時間をかけて同意を形成するしかない。一足飛びに解決はしません。
 昨今のイランや情勢を見る限り着実に情勢の変化は垣間見えますし。




 本当にその問題を解決に向けたいなら、スポーツの舞台で「正しさ」を押し付けるのは逆効果です。
 世界は正しさと悪の二元論世界ではありませんので。
 

 


  




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?