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仕事に遊びにくつろぐ男with下駄(男性の履かされた下駄とか)!


 日本の社会において男性は下駄を履かされているのか、履いているのか。
 

https://twitter.com/carlostsune/status/1804758835716088199より引用)

 

 男性が、就職しやすいとか、仕事で昇進しやすいとか、そういうのはあったでしょう。
 男女平均給与格差については単なる働き方の問題なので下駄ではないと思いますが。

 女性はどうせ結婚してやめるんだろうとかそういう目線があった事は確かでしょうね。今もあるかもしれません。
 そういう意味では男性には仕事を選ぶという意味では下駄が与えられていたかもしれません。

 しかし一方でこの下駄は、

 

下駄を履いたからにはハードに稼働し、労働を通じて社会に貢献し、責任を負い、結婚し大黒柱として家族を養え、という圧力


 とセットになっています。

 そんな圧を受けたくない人だっていたでしょうよ。
 でも、恐らくそれは許されなかった。まあそんな中でものらりくらりと圧を交わしながら生きていた人はいたでしょうけどね。

 そういう意味では、奇しくもこの「履かされている」という表現は実に適切なんですよね。
 履かされている、というのは「自動的に有利な要素を与えられている」という解釈もできますが、「望まないのに強制的に履かされている」という風にも解釈できますので。

 下駄は下駄でも鉄下駄でしょ。

 男性は下駄を脱げ!女性にも同じ下駄を与えよ!というのは構いません。
 しかし、それならばこの圧力を負わなければいけないし、責任を果たさなくてはいけない。
 そうでなければフェアではない。

 つまり男性も女性もハードに稼働し、責任を負い、家族を養う。

 勿論男性に出産能力はありませんが、出産後の家事育児を家事にコミットする主夫男性を養っていけばキャリアの断絶もないですし、自分の望む仕事を続けられます。
 実際、欧米のキャリアウーマンはそうしているようですしね。

 でもまあ

 

まずそうはならないだろうな


 と思います。

 今の時点でもすでに、男性の大黒柱として働くのは当然の性役割ジェンダーロールなので、稼得役割はゼロカウントで空気扱い。
 大黒柱として働くのは当然、家事をしてようやく及第点にしてやってもいいか、みたいな風潮ですからね。
 この下駄の重さはまったく感知されないでしょう。

 そもそも、この手の下駄論者の仕事に対する認知がこういうのなんで仕方ない。
 


この作者、夫を殴ったエッセイで名を上げたわけですが、今まで頑張ってきたことって何なのだろう。

 こういう認知だから、家の外で仕事を出来るのが「下駄を履いている」に見えるんでしょうね。

 つーかですね、そもそも 

颯爽と肩で風を切る社会的地位を得て、能力にフィットした仕事で自己実現してる男性


 なんて

 

幸運と能力に恵まれた本当に頂点の一握りだけ


 ですよ。
 殆どの人はしんどい思いをしたりストレスを感じつつ、社会の何処かで地味に働き食い扶持を得ています。

 仕事するってそういうことです。
 港区のキラキラしたオフィスで、タブレット片手にスーツに身を固めて働くのだけが仕事だと思ってます?

 それに地位と収入が伴うような仕事は、重い責任や激務とセットになってます。激務と重責の対価として地位があるというべきか。
 でも……その辺も全然わかってなさそう。

 下駄を脱げ!女性も社会に進出する自由を!というのは、そういう仕事にも就くってことなんですけど、その辺分かってますかね。
 多分分かってないですね。

 個人的にはかつての世界は性役割ジェンダーロールに男女両方が縛られていた時代だと思っています。
 男性はハードワークし家族を養い責任を果たす。
 女性は結婚し子供を産み育てる。
 そういう性役割ジェンダーロール

 性役割ジェンダーロールに限らず規範性の強い社会は、其処に適応的な人にとっては生き易いですが、規範から外れるタイプの人は肩身が狭かったり生き難い思いをします。
 しかしある属性だけが一方的な被害者とはなりません。

 でも、フェミニスト的には

 男性=加害者と女性=被害者の二元論世界

 
 になってるんですよね。

 こう考えると、

仕事に遊びにくつろぐ男


 って、名言だと思います、真剣に。
 「仕事で楽しく自己実現している男性」と、「家に押し込められ自由を奪われる女性」、という歪んだフェミニズム的二元論世界を見事に言い表している。 

 これは意図的にこういう世界観を作って被害者ぶる方が有利だと思うからそうしてるのか、それともマジで社会への解像度が低すぎて、仕事に遊びにくつろいでたんだろ!ジャップオス!(真顔 ってなってるのかは知りません。
 

 少なくとも本邦の「フェミニズム」は男女の公平を目指してはおらず、

家父長制への報復が本当の目的であり、


 その憎悪と復讐心をそれっぽく理屈付けデコレーションしているだけだと僕は思っています。

 なので、

 

責任は軽く、仕事は緩く、大変さは男性が担い、女性は地位と報酬だけ寄越せ


 という方向で進んで行くでしょう。
 今まで女性は虐げられてきた被害者なんだぞ、という建付けでね。

 おひとり様女性向けの公的支援をよこせみたいな主張も見たので、もっと言うなら、

仕事に遊びにくつろげる環境を用意せよ


 いうことなんだろうなと思います。
 つーか単身女性向けの支援って何?単身女性限定の家賃補助とか?
 それとも、カルチャースクールの学費とかネイル代でも出せってこと?

https://twitter.com/HayakawaHayat/status/1804120963124203825より引用)


 仕事はあくまで自己実現。誰かを養うことを求めるのは押し付け。
 ハードな仕事をしたくないならお一人様でもよい。お一人様でも快適に暮らせる社会を作れ。
 地位に見合った責任とか役割はくつろげないから果たさない。

 こんな感じになるんじゃないかな。

 個人的にはいずれ、

男女平均賃金格差の是正のために女性の給与だけ上げるべき


 という話が出てくると思っています、
 どう見ても差別ですが、批判者は女性差別主義者として吊るし上げられるんでしょうね。

 最後に。

 フェミニストが言うところの強い女像って、面倒ごとを拒絶できる力をもっていることなんですよね。

 ケア役はしない。
 嫌なことは拒否するして、自分事に全振り。
 言いたいことは何でも言う。
 パートナーが稼げなくなったら捨てる……というか捨てても平気なものを持っておく。

 そういう好きに振舞えること、我儘を通すことができるのが強い女。 
 ……範馬勇次郎っぽいですね。


令和の「強い女」像


 まあそれはさておき。
 このまま女性の社会進出がさらに加速して、優れた能力を発揮したとしましょう。
 でも、精神性というかフェミニストが示している強い女像が今のままでは、尊敬される存在になることはないでしょうね。

 他者からの尊敬を得られるのは

 自分の力や得たものを他者に分け与える人


 です。

 得たものを自分で独占したり、他人を助けたりしない人はどれだけ高い能力があっても尊敬はされない。
 強欲な商人は金持ってても本質的には尊敬は得られないでしょ。

 面倒事は拒否する!強い!なんで家族を養えとか言われるの?そんなの拒否!(自分を持った女!拍手喝采!)と言う人は強欲な金持ちにはなれても尊敬はされない。

 他者に分け与えないものが他者から敬意は得ようなんて厚かましい話ですよ。

 かつて男性はなんだかんだで自分が得たものを、家族を養うという形で与えていた。
 さて、新時代……全員が平等に下駄を脱いだ社会の「強い女」は、尊敬される立場になれるでしょうか?
 
 


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