【二次創作小説】Lemon
また、あの時の夢を見ていた。
私はベッドから起き上がり、西日の差し込む窓のカーテンを開けた。私の顔が朱色に染められ、反射的に目を瞑る。
お世辞にも広いとは言えないこの部屋は、女子大生の部屋にしてはいささか殺風景で、何か小物を買おうにも何を買えばよいのかわからず、いつも買い物はただの散歩になってしまう。
その話を彼にしたら、笑って聞いてくれた。彼の笑顔が頭に浮かぶ。
忘れられないあの姿。
私は電話の横に大事に飾ってあるネックレスに目をやった。レモンのオーナメントがなされたそのネックレスは彼——檸檬さんが私の誕生日にプレゼントしてくれたものだった。
私は懐かしい物を触るように、あの日々を思い返した。
※ ※ ※
「れ……もん?」
私が彼のネームプレートを無意識に読み上げると、彼は少し驚いたような顔を見せ、苦笑した。
これが私と彼の初めての出会いだ。近所のスーパーでレモンを買ったときだった。
「珍しい名前でしょう?」
私はどう答えればいいかわからず、「そうですね」としか答えられなかった。
彼をよく見てみると、なかなかの男前だった。髪は少し長めだが、チャラさを感じさせることはなく、むしろ彼の独特さを強調しているようだった。背も一八〇センチはあるだろう。そして、どことなくレモンの香りがした。
「あ、なんか、気を遣わせてしまったみたいですね。申し訳ありません」
彼が深々と頭を下げる。
「いえ、そんな。いい名前だと思いますよ。キラキラネームと違っておしゃれですし」
「そう言っていただけるとありがたいです。……僕、この名前嫌いなんで」
「え、何でですか?」
初対面の人に対して名前が嫌いな理由を尋ねるのは少し気が引けたが、好奇心の方が勝っていた。彼のことをもっと知りたいという衝動に駆られていたのだ。
そんな私に彼は優しく対応してくれた。
「レモン嫌いなんですよ」
「レモン?」
「はい。レモンの汁って、手に付くとなかなか臭いとれないじゃないですか。そこがムカつくんです」
彼は私の買い物カゴの中に入っていた広島県産のレモンを取り出し値段をレジに打ち込んだ。
「でも私はレモン好きですよ」
私が身を乗り出すと彼は今日一番の微笑みを浮かべ、
「ありがとうございます。お会計、全部で二〇二〇円になります」
現金で支払いを終え、袋を受け取る。
「少し、檸檬って名前でよかったなと思いました」
「え?」
私が顔を上げると、彼はもう次のお客さんの会計を始めていた。さすがに作業を中断させてまで、さっきの言葉の意味を尋ねることはできないなと思った私はそのままスーパーを後にした。
また買い物に来たときにでも訊けばいい。
そう思っていた。
彼に再会したのは、スーパーを訪れる時ではなく、この街一番の大きさを誇るショッピングモールの中だった。
私がユニクロから出ると向かいの帽子店から見覚えのある顔の人が出てきた。
「檸檬さん!」
私はこの前と同様、無意識に名前を叫んでいた。思っていたよりも早く再会できたことにちょっと喜んでいたのを覚えている。
檸檬さんも自分の名前を呼ばれたことに気づき、誰だろう? という風に辺りを見渡すと私と目があった。
「あ、この前の」
檸檬さんは会釈しながら、私のところに小走りでやってきた。
「奇遇ですね」
「そうですね。いい帽子は見つかりましたか?」
「残念ながら、気にいるものはありませんでした。最近日差しが強いから新しいものほしいんですけどね」
檸檬さんは帽子のツバを持つようなしぐさをして見せた。そんな檸檬さんを見て、私も思わず笑ってしまう。
「そんなに面白かったですか」
「ええ、まあ」
カジュアルな宿の檸檬さんは私を見て目を細め、
「この後、時間あります? せっかくだからお茶でもどうかと思ったんですけど」
今日の予定は新しい服を買うだけで、ちょうど帰ろうとしていたところだった。つまり、この後の予定はない。この間の言葉の意味も知りたく、私と檸檬さんはショッピングモール内にあるスタバに入った。
私はアイスのレモンティー、檸檬さんはキャラメルマキアートを注文し、受け取ると窓側の奥の席に座った。座るなり、檸檬さんは、
「あ、まだあなたのお名前聞いてません」
と、思い出したように言った。
確かに言われてみれば、言ってない。私は特に迷うことなく自分の名前を教えた。
「梶井優喜といいます」
「梶井……? そんな名前の小説家いませんでしたっけ?」
やはり彼も知っていたようだ。私もすごい偶然だと思っている。
「梶井基次郎ですね。代表作は『檸檬』です」
「ああ、やっぱり!」
檸檬さんは目を見開きながら、キャラメルマキアートを一口飲んだ。
「もしかして、子孫とか?」
私も檸檬さんにならい、レモンティーを一口飲んでから、
「いえ、子孫ではないですよ」
と、少し残念そうな顔をして見せた。
「そこまではないですよね」
「はい。あの梶井基次郎って子供いたんですかね」
「あー、どうでしょう」
小一時間ほど盛り上がり、その話が終わるころにはレモンティーもキャラメルマキアートもなくなっており、二人は追加でもう一杯とレモンののったチーズケーキを注文していた。
ケーキを受け取る檸檬さんを見て、あることを思い出した。
「あれ? 檸檬さん、レモンお嫌いなんじゃ」
私が疑問を漏らすと、檸檬さんはフォークでケーキの上の檸檬をちょっとつついた。何でかはわからないが、私は吹き出しそうになった。
「優喜さんと話していて、久しぶりに食べてみたくなったんです」
おお。
私は心の中で感嘆の叫びをあげた。私にそんな影響力があっただなんて。今までに感じたことのない感覚でとても嬉しかった。
レモンを食べた檸檬さんの渋顔はなかなかインパクトがあり、私はまた口の中のチーズケーキを吹き出しそうになった。
必死に堪えようとしたのだが私には難易度が高過ぎた。
「ごめんなさい。いや、でもかわいかったですよ」
「あ、ありがとうございます」
今の檸檬さんの渋顔はきっとレモンのせいではないだろう。やはり、レモンの時のほうが可愛かった。檸檬さんは不思議で面白い人だと改めて思った。
二人がケーキを食べ終わり、私が伝票を手に取ろうとすると、
「あ、僕に奢らせてください」
と、檸檬さんがすぐさま伝票を取った。
「いや、悪いですよ」
「名前褒めてくれたお礼ってことで」
根負けした私はそこまで言うならと伝票を渡したが、檸檬さんは考えているのか会計に行こうとしない。
「どうかしましたか」
「代わりと言っては何ですが、ひとつお願いを聞いてもらえませんか」
お願い? 私は一体何のお願いをされるのだろう。
「僕と、付き合ってもらえませんか」
何十回というまばたきをしてようやく理解すると、やはり声が出てしまった。
「えええええええええええええええええ!」
でも、正直言うと私も同じようなことを考えていなくもなかった。
付き合い始めて半年。私の誕生日の日だった。
夜は私の家で二人だけのパーティーをすることになっていた。
ここ数週間、檸檬さんは仕事が忙しかったらしく、まったく会えていなかったので悲しみの日々だった。大袈裟なのだろうけど、今まで彼氏というものがいなかった私にとってはそのくらいのものだったのだ。
自慢の手料理が完成し、あとは約束の時間まで待つのみ。LINEで準備オーケーだよと送り、部屋の掃除をして待つことにした。
——しかし、約束の時間になっても彼はやってこない。連絡を一つも入れずに遅れるというのは初めてのことで、檸檬さんらしくなかった。
私から連絡を入れてみようと思いスマホに手を伸ばすと、期待していた着信音が流れる。私は誰からかを確認せずに電話に出た。
「檸——!」
「梶井優喜さんですね」
……聞こえてきたのは、檸檬さんの声ではなく、聞き覚えのない男の声だった。
私はわけがわからず、「はい」と答える。
「警察署の者ですが、たった今檸檬という男が殺されました。あなたへの遺品があるようなので、取りに来ていただけませんか」
※ ※ ※
ぽつぽつと雨が降り始める時のように、私の脚を涙が濡らす。
檸檬さんは殺されたいた。そして、血のついていない包丁を持って倒れていた。
私が知らなかった檸檬さんの一面はもう知ることができない。ただ確かなのは、自分は檸檬さんに恋をしていたということ。愛していた。それだけが疑いようのない事実だ。
遺品となってしまったネックレス。
それをつけてみると、なんだか上手く呼吸ができない。
檸檬さんはいつだって私の光だった。彼がいたから、私は毎日を楽しく過ごすことができた。
片割れのレモンだとしても、いつまでも、いつまでも彼は私の光として心の中で生き続けるだろう。
この部屋もまだ彼の匂いが少し残っているように感じた。
なかなか取れることのない甘く、苦い匂い。
「檸檬さん……」
彼の言っていたことが、わかったような気がした。
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Illustration by Amagase
タイトルにある通り、これは米津玄師さんの楽曲「Lemon」から着想を得て、独自に歌詞を解釈して書いた小説です。当時僕は受験を控えた中三でした。久しぶりに出てきた原稿に懐かしさを覚えながら、荒かった部分を少しばかり修正し投稿することにしました。他にも楽曲をもとに書いた小説があるので、今後はそういう小説を投稿してもいいなと考えています。
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