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ユーモアにほんの少しのスパイスを

大勢の人の前で演説をしたりするのはとても緊張することだ。たくさんの聴衆に圧倒されて自分がどこに向かって挨拶をしているのか分からなくなってしまう。僕が社会人の時、乾杯の音頭や結婚式のご挨拶、締めくくりの挨拶、様々なタイミングでたくさんの聴衆の前で音頭をとることが多々あったように思い出す。そしてそのどれでも僕は緊張していた。そんな風に思いだす。

ではTwitterではどうだろう?
たくさんの聴衆がいてるけれど、みんながみんな発言するので、誰も彼もが聞いてくれると言うわけではない。むしろたくさん聞いてもらおうと誇張した表現になるのではないだろうか?なので、あまりにオープンなTwitterでは演説のような緊張感はないと思う。(フォロワー数が増えたらわからないが)

グループチャットではどうだろう?
同じ趣味の人たちが寄り添ったり、少し気心の知れた人たちの中で発言をするのは演説とは少し趣が違うが、演説と似てるところが多いのではないだろうか?

例えば、Twitterで知り合ってクローズに移動した時、Twitterと同じ感覚でグループチャット内で発言すると違和感がでる。なぜなら、Twitterでの発言とは違いクローズグループでの発言はコミュニティの意見としてみんなから尊重されるからだ。逆に他の人の発言を尊重しない人はコミュニティーにはプラスにはならないので、コミュニティーから軽視されてしまう。

自分の立場がコミュニティー管理人だった場合は毅然とした態度でコミュニティーを守らなければならない。みんなが発言しやすいように秩序を保たなければならないからだ。

しかし、僕の場合は人に対して成長をいつも期待している。なので、どんな粗雑な人でも平等に接し、成長に気づいてもらえるように動いている。まぁ、変わらない人もいるのだが、たくさんの人がいているコミュニティーには粗雑な人を受け入れるだけの力がある。最初にあげたTwitter何かがそうだ。

管理人はコミュニティーの秩序を守るために大きな器と毅然とした態度の両方が求められるのだろう。そして、コミュニティーは常に成長する。その段階段階で求められる管理能力は変わっていくんじゃないかなと思うし、アップルのようにつまらない人はいらないと言ったSteve Jobsのような態度も必要なんだろう。(アップルは芸術品を作る集団だからだろうが)

どういった理念がコミュニティーにあるのか管理人は常に考えなければならない。だから僕は所属しているコミュニティーのリーダーに大変だなぁといつも尊敬の念を抱いている。

リーダーが毅然とした態度を取らなければならない事態にならないように僕は気を回している。またそういう事が僕は好きなのだ。そして僕が管理人に回った場合優しさでコミュニティーをダメにするだろう。

僕が所属しているコミュニティーは2つ(Twitterも入れたら3つ)みどりのいぬ🐶の文芸サークル青い傘☂️美沙のクローズチャットBlanco🤍Blancoは破壊と創造を繰り返して強くなっているが、青い傘☂️50人ちょっと。まだまだ寄り添いが始まって日々成長してるステージだ🚀

コミュニティーの中で自分がどんな貢献ができるのか、ぶら下がるのか、個人主義の人も、集団主義の人も、色んな主義主張な人々の中で、みんなが幸せになれればなぁ。と、そんなふうに思って僕は過ごしている。

BGM:シーラカンス Mr.Children

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