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無慈悲で残酷な生き方

 他人のコンプレックスは、あぁ、この辺りかな?と推察することが出来てもそれ以上は暴露か見守ることくらいしか出来ないよね。
 自分のコンプレックスは、見るのもしんどいから隠したくなるものなのかも知れない。嘘と性質が似てるけれど保守的に隠してしまう。隠しているうちに大切なモノに変わってないかな?
 大したことない。と思われるのも怖いのかも知れない。
 でも、実際その人にとってそのコンプレックスはそれはそれは大した事なのだ。
 自分を歪ませたり、原動力だったり、解いてしまうと何者でもなくなってしまう程に。

 僕たちは何者なのだろうか?
 何をよるべにしているのか?
 誰かに断定して欲しいのか?
 自分で決めてはならないのか?
 自分が決めても承認されなければ偽物なのか?
 本物の証明とは?
 権威を欲しがるのか?権威とはなんなのか?
 自分の感動を裏切るのか?

 自分の感動とは何なのか?
 何に武者震いを感じたのか?

 それを思い出した時に自分を取り戻せるのかも知れない。

 張り裂けんばかりの感動と自分の中の躍動を戦って表現するのがアートだ。その生き様が全てアートになるのだ。権威はいらない。自分が認めてしまうしかない。
 人はコレクターかアーティストのどちらかなのだ。どちらが優れている訳ではない。自分で埋めるか?他人に憧れて自分を埋めてもらうか?

 才能がないものは、もうみっともなく生きるしかない。大多数の大衆として生きるのだ。選ばれなかったモブとして生きるのだ。ただ、生きるのだ。

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