「そういうところも好きだよ」と言おう

時々、自分の輪郭が分からなくなる。
私ってどんな人だっけ
私って何が良いところなんだっけ

私って、誰だっけ。


前回「誰が何と言おうとこれが私だ」と、世の中に発信した人間とは思えない発言である。
情緒が不安定であることは匂わせているので、セーフであってほしい。


また、「時々」分からなくなる、のは自分の成長を感じる。
昔は「常に」私は人に好かれない人間だと思っていた。

そう。
そういう意味では、特に社会人になってからひしひしと感じるが
有難いことに「人に好かれる」側の人間なのだ。

「人に好かれる」人間になったのか、それとも環境が変わったから「人に好かれる」ようになったのか、それはさておき。

例えば。
凝りもせず自己肯定感が下がっていた昨日、初めて知り合った人から自分の哲学の軸を評価された。

簡単な経緯としては
その方は競馬がお好きだが、婚活などで「競馬はちょっと…」と遠慮されることがある、という話題になったとき。
ひとしきり「借金せずに趣味で楽しんでたら良いのでは?」とか話した後で。

「自分の考えが普通だと思っている人ってよく分からないです」
「だって、あなたの普通なんて、時代や環境が変われば一気に普通じゃなくなるのにって気持ちです」
みたいに話し。

その時に
「若林さんは、人に対して誠実で、自分の軸がある人だね。こんな人なかなかいないよ」
と言われた。

まあ、初めましての状態だし、そもそもその方が良い人だった、だから褒めてくださった、というのはあるけれど。
私は内心「そうなの!それが私の良いところなの!!」と、アメリカ的な画風のヒーローが「Good!」と親指立てている気持ちになった。
少し、私の輪郭を取り戻せた瞬間だった。

ただ、他者の手を借りて自分を認めていくプロセスは、それはそれでどうなのだろう。
自分の良い面なんて、他者から何と言われようと、自分が認めてあげないとどうにもならないのに。
他者からの評価に頼って生きるには、あまりにも人生は長すぎる。
歩く地面が不安定すぎて、きっと落っこちてしまう。

とはいえ、生きる上では他者との関わりが必要不可欠なのだから、他者を無視して生きるのも無理な話である。
他者からの評価を気にするのも、それによって自分の気分が上下するのも、致し方ない。

自分で自分を肯定してあげづらい、そういう人間の弱さはどうしてもある。
そして、その弱さは人間の特徴として、何ならいっそのこと「愛すべきもの」として、受け容れてしまって良いのではないか?とも思う。


まあ。
私はすぐに自己肯定感が低くなるのが問題なんだけれど。
なにも、人から「嫌い」って言われている訳ではないのにね。

そういう私も私なので。
ある種の諦観と、ある種の愛情を持って、
今日も消えかけの自分の輪郭をなぞりながら生きていきます。

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