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現代でヒーローになる方法 *「僕のヒーローアカデミア」完結記念

僕のヒーローアカデミアが連載終了した。
好きな漫画が終わったのは寂しい。
堀越先生、本当にお疲れ様でした。

私は漫画をはじめとする創作物をこよなく愛するタイプの人間だが、特に少年ジャンプ系漫画は大好物である。
ヒロアカも、漏れなく「友情」「努力」「勝利」の3要素が入った王道少年漫画であり、それはもう本当にハマった。
他のジャンプ漫画と比較してもかなり魅了されており、アマプラでアニメを何周したか分からない。
何故か?と聞かれると、答えに窮してしまうが、ハッキリしている理由の一つとしては、「私自身がヒーローに憧れている」からだと思う。

ヒーローになりたい。
切実に。

目の前のあなたに笑ってほしい。そのために出来ることをしたい。
学生時代から、どうすればみんな幸せになれるのだろう?と本気で考えてきた人間だった。
みんなのために自分が頑張る。問題が解決され、みんなが明るく過ごせる。
なんて素敵なことだろう、と本気で思う。

でも、これも私だけではないのではないか?
多少なりとも、ヒーローに憧れている人がいるからこそ、今でもヒーローが登場する物語が人気なのではないか。
スパイダーマンも仮面ライダーもプリキュアも、全く廃れていない。

特に、日本人はデクのように圧倒的無力の者が逆境を乗り越え真のヒーローになっていく成長する物語が大好きではないか。

何故だろう。
何故、ヒーローへの渇望は現代社会においても存在しているのだろう。

色々考えてみて、こんな感じなのではないか、と思った。


①強さへの羨望
暴力は悪い、という社会的通念がありながらも、人々はシンプルな力の強さに憧れている気がする。
力によって悪い者を懲罰する、という構図は、分かりやすいからこそ、(特にまだ価値判断が固まりきっていない少年少女を中心に)羨望の的になるのではないか。

②アイデンティティの追求
画一的な生き方ではなく、「自分らしさ」を求める傾向にある現代社会において、アイデンティティというのは実に重要になっている。多様性を尊重する、という聞こえは良い世界の裏で、「何者」かにならなくてはいけない強迫観念も生まれてはないか。
その点、「弱気を助け悪を倒す」ヒーローは特別感もあって分かりやすい。
しかも、大抵の物語は「普通」の少年少女がひょんなことから凄い力を持つ、という流れなので、「自分にもなれるのではないか」と希望が持ちやすい気がする。


本当は、学生時代みたいに、様々な文献やデータを引っ張ってきて検証したいところだけど、難しいので"個人の意見"くらいに留めておくが。
(本当は本当は、やりたいんだけど)

じゃあ、次の問い。
そういう思いを抱えた我々が現実世界でヒーローになるには、何をすれば良いのか?

法治国家において、個人の価値基準で暴力をふるう訳にもいけないしね。

まあ、一番分かりやすそうなのは、「頭が良くなること」だと思う。


力のバトルに代わって頭脳戦を。
筋肉に変わって知識を。

世の中の仕組みを踏まえ、こうすれば皆助かるよって伝えて実行するためには、頭が良くなくちゃいけない。
違法な借金を押し付けられて途方に暮れている人がいたとして、押し付け会社や人を暴力でボコボコにするのは、無理なのだから
「こういう制度があるから一緒に申請しよう」と伝えて一緒に行動するしかない。

何なら、世の中の「仕組み」を作る方に回って、世界ごと変えちゃえば良いわけで。
だからこそ、頭の良さって現代社会のヒーローになるためには必要不可欠なんじゃないかと思っている。

だから私は、人材業界、それも組織開発とか人材育成とかしている業界に入った。
学生時代の目の前の喧嘩を、仲違いを、止めるためには、組織のチームビルディングとか人の行動が変わる原理原則とか、そういうのを駆使できるようにならないといけなかったから。

その選択肢は間違いなかったと思うし、
知識やそれに付随する頭の良さは、少なくとも私の理想のヒーロー像に近づくための補助をしてくれるように思う。

だから、ヒーローになりたくば勉強した方が良いんじゃないだろうか。

でもね。
何も無くても飛び出したデクのように
現実でもアニメでも行動した者の方が、時には何かを救うんじゃないかな、とも思う。

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