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写真と比率と美しさ

投資を経験した過去があります。20代の頃、2ヶ月分くらいの資金を元手に株式投資。四季報を読んで、毎日は日本経済新聞を閲読しました。当時は株式分割バブルの真っただ中。軍資金は少なかったのですが、半年で5倍ほどの含み益を。そのときに利確しとけばよかったのですが、徐々に利益は減っていって、気が付けば元金割れ。僕は投資に向いていないことが分かりました。

それでも良い経験をできたと思っています。若いうちに投資の正と負の面に触れられたことは本当に良かったです。ある程度の知識も身につけることができました。中でも有価証券の値動きは興味深く、自然法則に則ったような動きは規則正しく、それこそ「美しい」とも思ってしまいました。

上下に波打ちながら価格は変化していきます。一見ランダムに思えるその動きも、規則正しい数列のそれ通りに波形を形作ります。整った比率には自然を感じてしまうほど。秩序ある並びには、どこかに安定や安心も感じてしまいます。そんな整った比率に美しさを感じてしまうのは僕だけでしょうか。

松ぼっくりの「松かさ」や、ひまわりの種の並びも、数列の比率通りに規則正しく並んでいます。もしかしたら、天白冬菇と呼ばれる傘のひび割れた椎茸のあの模様も何らかの数列由来の比率が関係しているかも知れません。また、人の顔立ちの美しさもパーツの比率が関係しているそう。山や海など、大自然が溢れる場所も、そんな比率を多く感じられる場所だと思えます。むしろ、美しい比率に触れることが、自然を感じることのようにも思えます。

思えば写真の良し悪しも比率が関係している部分が大きいです。写真に限らず平面画は、その構図におけるパーツの比率が良し悪しに大きく影響をもたらします。巷にあふれる多くの「写真の撮り方」でも、ここを重要視しているお話は多いです。ここでも人は美しい比率を追い求めてるのかも知れません。

美しい比率は規則正しい数列からやってきます。そこには秩序があり、安心や安定はもちろんのこと、信用や信頼すらも感じてしまいます。そのことについては、実際の風景と写真に差異はありません。写真が生まれてから数百年が経ちましたが、人の歴史から見ればつい最近のこと。まだまだ、その意味では写真と現物の区別を付けられるほど、人は進化していないのかも知れません。だから写真はおもしろいのだと。

そんなことを思う今日この頃です。


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