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〜しても構わない、の判断に思うこと

 イエナプランって何だったっけ、忘れた、と思いつつ、「イエナプランの記事を読んで考えてみた①」の記事を拝見していました。

 その記事で「選ばせる」に反応してしまったので、思ったことを書きます。

 昔、漢字の書き取りを習った時、教科書に止め・はね・払いに関する説明で、「〜しても構わない」という表現があったのですが、小さいときは、『「〜しても構わない」のなら、そうしよう』と、そちらを選んでいました。

 というよりもむしろ、その当時は、「〜しても構わないのなら、〜するのは当然いいんでしょ?」と、考えていたような記憶があります。

 ところが、教員を始めて、10年毎の常用漢字の改訂の解説を見ているうちに、「〜しても構わない」が、許容を表す表現だということに気がつきました。

 つまり、本当は◯◯して欲しいんだけれど、たまたま△△になってしまった場合は、別に❌ではありませんよ」的な、許してあげる、勘弁してあげる、というニュアンスがあることに気付いてしまったのです。

 空気を読めないヒト(それはワタシのこと)がよくやることですが、いいよ、と言われて相手の気持ちも考えず、全面的に受け入れられた、と思いがちです。

 でも、完全にOK、か、ギリギリセーフ、かは大きな違いなのでした。
 
 後に、進学校の入試で、許容範囲ギリギリのを全部はねている先輩教諭を見て、慄然としたワタシでございました。

 それからウン10年、「選ばせる、」と言っても、その先どうなるかは、示しておかないといけない、というのが、今現在のワタシの着地点であります。

 実は、今日ちょっとそれで揉めたのですが、どうも私は何通りも考え過ぎるようで、相手(生徒たち)の様子を見て、選択肢を変えてしまうのが、やはり生徒たちは嫌みたいでした。

 でも、彼らは知らない。ワタシが本気で自分のやりたいようにやったら、ものすごいスパルタになることを😈(笑)

 うちの父親はすごいスパルタでした。
 ワタシが中学1年の時、「(国公立)大学に行くためには、(6学区輪切り9校の上から2番めまでに入っていなければならないから)80点以上取らなければならない。80点未満ならその取ったテストの数だけ梅干し弁当や‼️」と言われました。
 で、2〜3回梅干しとご飯だけの日の丸弁当を食べたことがあります。
 あまりに格好が悪いので、友人に相談したら「弁当は捨てて、パンを買ったらいい」とアドバイスされて、一度だけ捨てたことがあるのですが、『……やっぱりなんか違う』と思って、梅干し弁当を後2回ほど食べ、努力して、それからそういう目には遭いませんでした。
 これには後日談があり、中学2年の冬、学年主任だった理科の先生が「ウチダ、お前は60点以下だったら梅干し弁当なんだってな?」と尋ねました。「違いますよ、80点未満ですよ〜。それも最近は食べていませんけどね」
 噂では、勝手に基準の点数が下がっていました。あまり勉強しない中学でしたから、みんな信じられなかったのでしょう。

 まあ、しかし、いくらキャラ弁がまだ出現する前とはいえ、花の乙女に梅干し弁当……昭和ヒトケタの父にしごかれて、見かけはともかく、心臓に毛が生えていると言われるようになったのでした。

 でも自分はそういうのがイヤだったので、ヒトには、特に生徒たちにはスパルタはあまりしません。もちろん必要があれば、スパルタ式にしごいたこともあります(定時制で関西大に行きたいと言った人をしごいて、英・国の入試で国語を百点満点で98点取らせました)が、目的があって、耐えられる人にしかしません。

 だって相手のことを思っていろいろ手を尽くしても、相手に逆恨みされるなんてバカげていますよね。

 何故そう思うようになったかというと、ある中学の女性の先生が、生徒に刺されて亡くなるという事件があって、当時はセンセーショナルに報道されたからです。
 
 命を捨つるほどの仕事はありや?

 ま、ワタシは学者なんで。
 

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