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新規事業提案での出会い

きっかけは研修の先生

新聞社で広告営業の契約社員をしているときに、社内で新規事業提案制度が突然できて、入社当時の上司の薦めもあり応募することにした。
薦めてくれた理由の一番は、提案が1次審査を通過すると受けられる起業家向けの研修があり、すごく評判がいいよということであった。
リクルートからくる研修の講師の先生がとにかくよいとのこと。
そこで応募するということはすぐに決めたのだが、肝心の新規事業をさて何にしようと考えてしまった。
当時は自分で何か事業を始めたいというような願望もなく、日々の仕事で成果を出すことに精一杯だった。

だが、ほどなく自分の今の状態や問題意識というところから、病児保育に関わることを考えた。
今の私がこだわっている女性の自立支援というところと同じねっこの提案だったように思う。

離婚当時の自分の問題意識から事業提案を

 離婚した当時、上の娘が小学3年生、下の娘が幼稚園の年中だった。
小学生になると、学校を休むほど体調が悪いことは年に1,2回あるかないになっていったが、3歳くらいまでは、比較的じょうぶだとは言え、人並みには熱を出し、夜病院に行ったり、流行り病にかかっては寝込むことはあった。
 実家から両親が出て来てくれて、一緒に住んで育児を手伝ってくれたので
平日は思う存分残業もできたし、飲みにいくこともできた。
もともと自宅は私の実家が購入してくれたものだったので住むところの心配もなかった。
 いわゆる路頭に迷うというような切羽詰まった環境にはなかったが、住む家がなく、両親が子供の世話を引き受けてくれなかったらと思うとぞっとする。

 両親の助けがいっさいなかったとしたら、どうなっていただろうか。
特に、子供が病気になった時には、まず、会社を休む必要がある。そもそも、勤務先の場所も、子供に何かあった際にすぐにかけつけられるようにしなくてはということと、毎日一刻も早く自宅に帰ることを考えると
自宅から30分以内という場所で探すことになったと思う。
 当時は、まだノートPCを持ち帰って作業するという習慣もなく、残業して提案書や見積書を仕上げなくてはならなったし、今のようにZOOMで打ち合わせという選択肢もなかったので、責任ある仕事を継続するには、自分だけでなく家族や周囲のサポートなくしては、難しい状況だった。特に、子供の場合には熱が出ると元気でも保育園では預かってもらえないし、今回のコロナのような感染症の場合には、解熱したとしても自宅待機してからでないと登園できない。
 そのような病児保育の問題についての新規事業案を提案した。

 当時勤めていた新聞社は主婦向けのフリーペーパーを出している会社で、地域の主婦を組織して、新聞を宅配するというビジネスモデルだったので、その主婦のネットワークを活かして、地域に住む年配の先輩主婦と子育て世帯を繋げられないかと考えた。
 すでにその当時でも調べると病児保育に取り組んでいるフローレンスという団体があったり、自治体でも保育ママという仕組みがあったりと問題に取り組んでいるところはいくつかあったと記憶している。

1次審査通過して

 無事1次審査を通過して、研修を受けることになったが、本当に今振り返っても、とても得るものが多い、有意義な研修だったと思う。

 繰り返し言われたことは、一にも二にも、顧客視点を忘れるなということ。そして、あれもこれもと欲張ることなく、ターゲットのためのサービスにすること。
 みんなのお寿司屋さんは、結局誰のためのお寿司屋さんでもないという例をよく出された。それは、スターバックスが喫煙者をあきらめることでよりターゲットにとって居心地のよい場づくりをしていき、ブランドとして確立したことと同じ意味だ。

 研修では、企業経営に必要な理論を学び、それを実際に活かすためのワークショップを通して、一つの事業として提案するための計画書に必要な事柄をどのように作り上げていくかなど体験した。
 その内容自体はとても密度が濃いものだったが、研修の講師の先生の圧倒的な熱量にしびれた。一人一人に今一番必要なアドバイスを情熱をこめて伝えてくれるそのパワーに見惚れた。
 人のやる気に火をつけて、自走できるように導いていけるような人になりたいなぁと思うようになったきっかけの人物でもあった。

私のやりたいことを考えた最初

 振り返れば、先に述べたように、今自分がこれからやりたいと考えたいたシングルマザーの自立支援のサポートだが、当時の新規事業提案をしたときと同じ根っこから生えた芽である。
 当時は、新規事業提案の中で、母親が小さい子供を育てながら、働き続けるための保育の現状改善という課題解決に取り組めないかと考えた。
 離婚して2人の子供を1人で育てることになった時、私には、たまたま幸運なことに、実家から私のためにわざわざ上京して同居してくれる両親がいてくれて、住むうちがあって、お金の心配もすぐにはなく、なんとか仕事も見つかって、恋人はいなかったが、親しい友人たちはそばにいてくれた。
 とはいえ、それなりにはいろいろあった。
 だからこそ、私にできることがあるのなら、少しでもこれからは何かできればとおもっている。
 なんだか、まとまりのないまま文章をしめくくるが、正直な気持ちを書いてみた。







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