かつて無限に開かれていた自己反省会が、開かれなくなった
気付いたら、人と会ったあとの自己反省の勢いが弱まっていた。
誰かと会ったとき、それが楽しい場か緊張する場かは関係なく、もっとこうするべきだったのでは? と帰り道で考えてしまう。
THE・反省会開催! みたいなこと、わりとある人にはあると思う。
ひどいときは家に帰ったも眠れないぐらい、後悔が溢れてしまう。
もっとこうするべきだった、取り返しがつかないかもしれない、なんてことをしたのか、と自分を責めたてる感覚が体を渦巻く。
とってもつらい時間だった。やめたいけどぐるぐる回る。
それと比べると、今は責める感覚が弱くなった。声が小さくなった感じ。
もっとこういえばよかったか? とは思うけど、続けてすぐ思う。
いや、頭まわしてないタイミングだから無理か。次のとき頭回せたら気を付けよう、と。
たぶん、前はどのタイミングでどの程度意識できて発言しているか、を考えてなかった。だから後出しで、もっとこう意識しておけばよかっただろ、と自分を責めた。あとからなんてどうにでも言えるのにね。
実は発言って手前の出来事に影響されて、思った以上に反射で出してる。考えてないことがある。
私は考えていたほうだから、考えず反射で話しているってなかなかショックだけど、実際そうだなぁと思うことがあるから、認めるしかない。
これが認められないと、反省会が無限に開かれることになるので認める。
反射で出してるときは意識してない。そういうときの発言をこう言えばよかったな、と思っても無理。できたらしてる。
残念ながら、そういう風に考えられないときが、私にもある。
じゃあ反射なくして意識して動こう! と決意する…のは、まぁ無理! ずっと意識するのは疲れてしまうし、疲れれば意識できなくなる。人間ずっと意識できるような体のつくりをしていない。
できるのは、大事なところは意識しようとしたいなって思うことぐらい。
意識しようとしても、100%意識通り発言するのはまた無理だけど、少しずつ可能性はあがる気がする。せめて大事なポイントだけでも、意識をしたい。
なんて、完ぺきを求めず、それでもある程度意識して話すことを心掛けていたら、浮かぶことがあっても言わないことを選んだり、言うときには言い方を考えたり、今そうしたなって思うことが前より出てきた。
だから意識しているときがわかる。逆に、意識してなかったなってこともわかる。
意識してなかった過去に、意識を求めても仕方がないや。
後から振り返って、できれば意識して発言したかった~~!! とじたばたするときはあるし、中には取り返しがつかないじゃん!!! とショックを受けることも実際あるかもしれない。
でも、仕方がない。その時意識できたらしている。過去は変えられない。
自分のできる範囲が整理されたんだろうな。
反省会は開かれるけど、すぐに整理されて去る。
次に生かせるところは生かせばいい。そうでないところはうぎーーーと悔しがればいいんだ。
しっかりやりたかった、は過去が変えられないとなってもあるから。
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