やりたいことを苦もなくやるために
私は気づいたら横になってごろごろしている。小説よみたいな~~家事しなきゃな~~なんて思いつつ、SNSを覗いたりTVを流したりしてごろごろしている。やりたいこともやらなきゃいけないこともいろいろあるのに……。
でも小説を読みたい! あと健康でいたいから運動をしたい!!
この辺、安定して取り組もうとしては、1か月~3か月ぐらいまでは続いて、そっからぱたんと止まることが多くて、しょっぱい顔になる。私はこの辺続けていくことはできないのか……。
いや待て。洗濯や料理はなんとなく前より苦もなくゆるく続けて取り組めるようになったぞ。私はどうしてできるようになったんだろう?
やらねばの魔法が解けた
先に、最初から洗濯や料理を取り組めなかったわけではない、という話からしていこう。
一人暮らしを始めたころ、洗濯も料理もやっていた。料理に当たっては朝昼晩と3食自力で食べていて、コンビニにはほとんど頼っていなかった。ものすごく嫌だと思った覚えもない。覚えがなさ過ぎて記憶が朧気だけど、やるのが当たり前だと思っていた。
ただ数年が立って、次第に仕事から帰るときにコンビニよってご飯を買うようになった。ゆるゆると料理は続いていたので、冷蔵庫に食べ物はあっても買い食いしたい気持ちが抑えられない。正直ストレスが強かった。買うのと食べるのとで発散したかった。
そんなわけで当然のようにやっていた洗濯や料理がやりたくなくなった。たぶんやらねばやるのが当然だろうと思っていたのが、なくなってしまった。洗濯も料理も、いつのころからか、やるのがものすごく面倒くさくないか? と思うようになった。一人暮らしだから自分でやるしかないんだが。逆に言うとやらなかったとして自分しか困らないので。
やらねばの魔法が解けたんだろう。当然のようにやらねばと思っていたから、帰ったときに自然に当然に料理へ行っていたのが、やらないことも選択していいんだ!と思ってから、やりたくないが出てきた。
寝転がってしたばたしたいぐらいやりたくない!を発見して我ながらびっくりしたし、こんなにやりたくないものを、当然にやるもんだとされすぎでは???となった。やりたくないをどうにか越えてやっていた。
それが1年前ぐらいまで続いていた。
たぶん、転機は休日の朝にパンと卵を安定して食べるようになってから。
休日の朝ごはんに用意をしながら、洗濯をするのが苦ではなくなって。ある程度放っておいてよい料理の間に、料理や洗い物みたいな、やらねばならん、となりやすいことをやれるようになった。
思い出すとイメージがオセロなんだけど、なんか朝ごはんで部分的に行ける!とひっくり返って、他のやりにくさもパタパタとひっくり返った。
そんなわけで、気づいたら洗濯と料理を自然にできるようになった。やりたくないは時々出現するんだけど、うまいこと乗りこなせるようになった。はじめてしまえば取り組めることを確認できて、はじめるコツがつかめたからだと思う。
ただ、やらねばの魔法がかかったままだったら、実際時間がどれぐらいかかって、どんなことを自分が面倒に感じていたかもわからなかった。記憶にない程度には何も考えずにやっていたのだし。
具体的に何を面倒に感じるのかがわかって、面倒な感じを避けられるようになったのだし、思ったより面倒でもないな、もつかめたと思う。
意図的な自動化の試み
運動もやってみては途中で途切れるを繰り返していて、うーんと悩んでいたころに、最近、ある程度自動化して取り組むといい、という話を聞いた。
毎日勉強しようという話だったが、とにかく最低限、ノートを開くことは毎日決まったタイミングで行うことにしてしまうのがいいという。人は選択をするのにエネルギーを使うから、ある程度そのエネルギーを使わないような仕組みを作れると、ハードルが下がる。
確かに、と思った。上述した料理と洗濯の話にせよ、やるやらない、いつやるかが幅広すぎたころは、いちいち今やらなければならないかを考えてハードルを上げていた。運動も、どうしてもうーん面倒だがやったほうがいいしな、を常に挟んでいた。
だから仕事が忙しくなって、帰宅後まで余分なエネルギーが持ち越せなくなると止まっていたんだなぁ……。
小説を読むことに関してもそう。小説というか、積んでいるゲームも小説以外の本も全部まとめて思ってしまうが、私に手を付けられるのを待っているものが多くて、さて今日は何に手を付けようか?といちいち考える必要があった。今日の気分にしたがって物事を決めるのは楽しくもあるけど、ちょっとエネルギーがない仕事後だと、あっという間にSNSやTVに流れる。
選択の自由度が高すぎるのか。
逆に言えば、なるほど一度ゲームや長い小説を読み始めると、延々読む理由もわかる。だって帰宅後にやることがはっきりしている。選択しなくても、昨日ここまでやったゲームの続きをやりたい!があるので。
これが、昨日ここまでやったゲームの続きをやりたいけど、今積んでる本も読みたいしなぁ…と考え出すと、途端にSNSに流されるんだな……。
実験開始
前から、何かのついでにやりはじめようとすることは取り組むと、始めるハードルが下がるのは理屈で知っていた。選択することが考えるエネルギーを奪うことも知っていた。だから、運動だって何かとついでにやってみれないかと模索したこともある。それでも気づいたら途切れてしまっていた。
途切れてもまた始めればいい。始めるきっかけがせっかくもたらされたのだから、また改めて、自動化を挟んで取り組んでみようと決めた。
運動の始まりは6月10日のこと。今回は歯磨きをしたら、水分補給のための飲み物を準備して、運動を始めることにした。家での水分補給の飲み物を用意したら運動をしようとまでは、前にもついでを狙ってやってみたんだけど、そもそも飲み物を作るタイミングが定まらなかった。家事やパソコンの事務作業など、やることがあるときにはわざわざ飲み物を作らず後回しになり、忘れてしまってSNSに流れた。
その点歯磨きはいい。私はご飯食べてすぐではなくて、やるべきことの最後の仕上げみたいに歯磨きをして、それから好きなことをしていいよ!という自由時間に突入する(ここから間食をしないという決意も含む)。
今のところ昨日まで一週間ちょっとやってみているが、なるほど、やらなきゃならんことの最後に歯磨き→飲み物づくり→運動と挟むのはなかなかスムーズでいい。何より歯磨きは毎日する。今日はもうお休みにしてしまって運動をやらないけど、明日歯磨きをしたときにはまたやれそうだ。
常に毎日必ずやる、だと調子が悪くてできない日から止まってしまうから、できるだけ再開できそうな仕組みにしておきたい。以前は目玉焼きを作るのも習慣がなくて途切れがちだったが、今は休日にパンを焼き始めれば目玉焼きを作る自動化ができた分、多少間隔があいても再開できるように。たぶん、再開のきっかけづくりさえうまくできれば何とかなるはず。
また、積んでいたゲームや本(以下、まとめて積みものと呼ぶ)に、とにかく選ばず手が届くものに1日1回手を付けようと決めたのは6月13日のことだった。私はソーシャルゲームのFate/Grand Order(以下FGO)をしているけどストーリーを止めていた。ただ、やらなきゃならんと思い始めた。何せストーリー二部6章に羽海野先生のオベロンが出るのだ。3月のライオン大好きです。この場合のやらなきゃならんは義務感より使命感で、私が会いたい気持ちが強い。思えば、ずっとFGOは止めているがいつかはやろうと思い続けていた。FGOは、というより、FGOも、だった。積み本と同じノリだ。
小説を読みたいを書いてから1週間ぐらいたっていた。積みものであるコンシューマーゲームには取り掛かって進めていたけど、そもそもちょっと調子が悪くて進みはゆっくり。小説まで手が回らなかった。これ自体はそういうこともあるとしか言えない。いろいろやりたいが体は一つ。一個ずつだ。
ただ、やりたいことだって手を付けねば始まらないなと気が付いた。実際進むかはともかく、自動的に手を付けてみる回数を増やすしかない。少なくともついSNSやTVに流れる時間は減らしたい。
とにかく何か開くわ、といつものごとく話していた友達に宣言して、月曜日。ちょうど運動を自動化したのがよくて、やらねばの最後尾に並んだ運動から、スムーズにやりたいの最前列に並べた「積みものに手を付ける」が割り込んだ。ちょうど飲み物を用意してあって、そのまま一人がけの椅子に座れば、ゆっくり好きなことをするスタイルの完成だった。これはいい。
まぁ積みもののほうは、感想を書きたい!なり、眠すぎて無理!なり、事情が割り込めば、意図的にやりたいの最前列に並べただけなので、後回しにはなるから、運動ほど必ず守っているわけではない。だけど、前よりタイミングがはっきりしたのがとてもいい。やりやすい気がする。
そうか、やりたいことはいつでも手を付けられる分、返ってやるタイミングの選択肢が多くなりすぎてまごついていたのか……。タイミング以外にも、実際やることすら選択肢があるんだから、なおのこと難易度が高い。
途中成果
まだ実験も始めたばかりの試行錯誤中だけど、現在すでに感じている良い点を、忘れないように書いておきたい。
まず、圧倒的に後ろめたさがなくなった。
運動はやったほうが健康にいいし体も楽な実感があるのにやっていない…とうっすら気にしていた。頭を痛めて悩むようなもので、いずれは再開しなくてはと思っていた。積みものも、ずーっとやりたいのにやれてねぇなぁ…と遠い目になっていた。こっちも後ろめたさだけど、もうちょっと気だるい感じ。まーしょうがないし、最悪やりたいことならやれなくてもいいといえばいいし、と言い聞かせつつ、自分なんてそういうやりたいけどやれないものなんだわ、というあきらめていた。
それがちょっと取り組めたことで、健康にいいことしている!というやってやったぞ!!感があったし、積みものに関しては、やりたいことを工夫すればちゃんとやれるんだと自分を見直せた。後者のほうが実は目がぱっちり覚めたような感じで、どうしようもない自分を見直せて、心が軽くなった。
私は、やりたいことをやれる人間だな、って。
それに仕事後の生活にメリハリがついた。これまではついうだうだと区切りなくごろごろしていた。それが、晩ご飯を食べ終わって一度ごろごろしても、よしそろそろ起きるかとやるべきことの流れに戻ることができている。これが継続するかはまだわからない。少なくとも、ずっとひたすらうだうだするよりは、次の行動に移りやすくなったのは確かだ。
運動だけの成果を上げると、ちょっとよく眠れる。仕事中の座っているときに体がバキバキする感じが減った。もしかしたら、よしやってみよう!と思えるのは、多少動いて体力があるからかもしれない。
積みものを片付けるのは、単純にめちゃくちゃ楽しかった。FGO、やっぱり楽しいよね、ってなった。あーごろごろしちゃったよーという感じも減って、ますます気分がいい。
そんなわけで「運動」と「積みものに手を付ける」に取り組んでいってみたい。まだそんなに初めて見てから時間がたってなくてどうなるかは不明。続かなくなっちゃったらどうしよう~~~ともnote書いてて思う。
まぁ……その時考えよう。再開さえできれば続くとは思いたい。あまり続かないことを恐れ過ぎてもハードルがあがるんだよね。
一度まとめておこうとnoteを書き始めたら長くなった。その分。今日はもう「運動」も「積みものに手を付ける」をしない!って決めてるのが、この記事の本末転倒あって笑える。明日から再開します。
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