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昔、先生に「お前みたいな人生を送りたくない」と言われた話【書く習慣1ヶ月チャレンジ:Day10】

どうも、一休誰絵です。今日は長期インターンがあり、記事の添削時に「日本語がよくわからない部分があった」と、久々に耳の痛いご指摘を受けてきました。ぴえん

というわけで本日も早速書いていきます。今回はちょっと暗い話(恨み話含む)になるので、明るい話希望でしたら、一旦お帰りくださいませ。後半は予想もせず自己肯定しましょう系になりましたが。

お風呂で「今日は何書こうか」と悩んでいたら、少し嫌なことを思い出してしまったので、今日はこのことについてつらつらつらっと書いていきます。

「俺は、お前みたいな人生を送りたくない」

あれは中学時代のこと。中学3年に上がり、そろそろ高校受験のことを頭に入れなければならない時期である5月に、家庭訪問がありました。家庭訪問といったら、大体は勉強のこと中心に親と先生がガミガミ話すものです。当時の担任の先生を、仮にA先生としたいと思います。

当時、私は進学校を目指して日夜勉強に励んでいたのですが、どうしても成績が伸びない。一旦現実を見た方がいいのか…と悩んでいました。

このことをA先生に話しました。「本当は〇〇高校を目指したいのだが、ちょっと大変な気がする」と。

そしたら、A先生は私に
「こんなネガティブなことを考えたらいかん」
と少し怒り気味に話し始めました。

そして、
「もし生まれ変わるとしたら、俺は、お前みたいになりたくない。お前みたいな人生を送りたくない
と言われてしまいました。

多分、「こんなネガティブ〜」から「もし生まれ変わる〜」の間にきっと何か言われたのか、あるいは私が言い返したのかもしれませんが、
俺は、お前みたいになりたくない
という一言が非常に怖くて、前後の話をまるっきり忘れてしまいました。
確かだったことは、私は泣き出してしまったこと。

ああ、まだ15の早乙女ってのに、50のおじさんから「こんなになりたくない」と言われる人生を送る自分って一体……と自己嫌悪に陥った気がします。

でも、私は生まれ変わっても私でいたいですよ

私は昔も今もネガティブ思考の人間です。何かまずいことがあったらどうしようとかあれこれ余計な心配ばかり考えて生きています。
小さいことだと、「もし道端に釘が落ちていて足の裏に刺さってしまったらどうしよう」とか。「縫い物をしている時に針が目に刺さってしまったらどうしよう」とか。「耳かきをしているときに腕が何かに当たって耳かきが鼓膜に刺さってしまったらどうしよう」とか。「包丁を握っている時にうっかり落としてしまって足を刺してしまったらどうしよう」とか。(刺される心配ばかりです)

道端を歩いていても、「ケツでかいな」とか、「足太いな」とか、「洗濯の生乾きの匂いがしそうだな」とか思われていないか。しょうもないことであれこれ悩んだりしています。

中学時代はいじめに遭ったり、高校時代は周りと比べて何もできない自分に落ち込んだり、大学受験の失敗で希望しない数学科に行ってしまったり、就職活動で挫折して休学したり、大人に「この行動って、意味あったの?笑」と言われたり。あまり褒められた人生ではないと思います。正直、ときどき自分が他人くさくて。本当に自分が送ってきた人生だったのか?と疑いたくなる。

確かに、この面だけで見ると、すごく生きづらそうとか、ここまで考えなくてもいいのに、と思われているはず。

だけど、それ以外をみてみます。私は朝起きるのが比較的得意なので、毎朝女優気取りのルーティンを送っています。読書・美術館鑑賞・映画鑑賞などコンテンツが大好きなので、好きなものには惜しみなくお金を使えています。たまに旅行にも行って、お気に入りのカメラでたくさん写真を撮って、ぼーっとするのも好きです。あと食べることも、料理で謎メニューを作ることも好きです。誰にも負けない、香水を選ぶセンスもあります。

そして、何より「飽くなき好奇心」「美味しいお店を知っていること」「書く喜び」「小さな野花を見つけ、嬉しくなる」「誰かを笑わせる楽しさ」「お花見で3回鳥にフンを落とされた話をしても、笑ってくれる家族・友人」などなど、自分が誇るものを持っています。

今もネガティブな自分は相変わらず持っていますが、自分のやりたいことを貫き、その過程で見つけた好きなこと、楽しいことを見つけたおかげで、やっと「生まれ変わっても自分でいたい」と思えるようになりました。

この文章を、A先生はきっと見る機会はないと思います。もし見たとしたら、あのとき言われたことを、こう言い返そうと思います。A先生、覚悟して聞いてください。

「先生、少なくとも私は、生まれ変わっても私でいたいです」

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