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された、られたを語る違和感

誰もが自分が受けた嫌な事や

意にそぐわない対応をされた事

それを
公然と語ってしまうことがあります


自分の事を全部周りの人からの受け身で語る
そういう時は自分の行動に責任が取れない時

責任転嫁して自分を守っているのですよね


どんな出来事でも
自分の行動が一切無関係で、全て相手次第

なんてことはないと思うのです…
必ず自分の言動がどこかしらで関わっている

だからと言って
自分にも悪いところがあると責めるのではなく
(これついやってしまいがち σ( ̄∇ ̄;))

全ての事象は善悪で分けるのではなく

うまくいかない事は
たいてい人と人の場合はコミニュケーション不足

若しくは直視したくない事があるとか

セルフプロデュースが上手くいってないとか

またはなにか執着があってそれを死守したいとか

色々理由があってそれは自分では見えてなかったりする

だから
約束すっぽかされたんですーとか

いつも騙されてばかりーとか

よく勘違いされるのーとか

あまり見ていて素敵な人だと思えなかったりで
こういうのは損しますよって話です


いつも頼られっぱなしでーとか

結局私がやる羽目にーとか

少し自慢が入る場合も
周りをすこーし見下していて感じよくない事もあります

会話の中で

された、られたをよく言ってるかも?と
気がついたら
自分で解決できる方法があるって事
それを自分が握っていることに気がついて

そう思えば
すこし周りに振り回されなくなると思います

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