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留学思い出話〜ボストン編③…夏休みに両親がやってきた

2000年1月にバークリーに入学し、最初の夏休み。

両親がボストンに遊びにきた。
せっかくなのでボストン観光に加え、私自身も行きたかったタングルウッド音楽祭にも一緒に行こうと思い、私は計画を立てた。


早速まさかの事態に遭遇…

以前家族でハワイに行った時にコンドミニアムに泊まったことがあったのだが、母がホテルよりも楽しいと気に入って、ボストンでもコンドミニアムが良いと希望してきた。
私は市内観光するにもアクセスの良いプルデンシャルセンターにほど近いところにあったコンドミニアムを見つけ、少し高級な広い部屋を予約していた。

ベッドルームとダイニングキッチンのある部屋。古そうだが家具もアンティークな雰囲気があってかわいらしかった。
私の住むアパートにはエアコンが無かったが(そういえばアメリカに住んでた間中アパートの部屋にエアコンがついていたことがなかった。扇風機で十分だった)、ここには一応古い窓エアコンがあった。ただスイッチを入れるとふだんあまり使われていなさそうな音がして、湿っぽいようなホコリっぽいような風が出てきた。

久しぶりに両親と会って、しばらく部屋でまったり過ごし、母は疲れたからと先にお風呂に入ってベッドで休んでいた。
私と父はまだ起きていたのだが、しばらくすると母が「何かに食われた。痒い…」と言って起きてきた。みるみるうちにあちこち赤く腫れてひどい痒みに加え、患部に熱っぽさまで帯びてきたようだった。
ベッドだ…ベッドにノミがいたのだ。
電気をつけてしばらくすると、父が「あー、いるわ…大きいのが。。」と。

ボストンはユースホステルには場所によってはベッドにノミがいるところがあると噂で聞いていた(私が泊まっていたところは大丈夫だったけど)が、こんな良いお値段する高級な部屋でもそんなことがあるとは…。
一見キレイそうな部屋だったが、ヘタに高級な部屋だったせいで、おそらくあまり使われていなかったんじゃないかと思う。回転が悪いせいで、きっと棲み着いていたんだ…ハワイとは気候も事情も大いに違うんだよ…(泣)。

大変なことになった!と私は焦った。
夜明けを待ってまだ薄暗い中、私は近所のスーパーマーケットに駆け込み(24時間営業に感謝!)、応急処置用にラナケイン(かゆみ止めクリーム)を買った。そしてその足で近くのウエスティンホテルのフロントに立ち寄り、部屋が空いてないかと聞いてみた。
当日からという急なリクエストだったが、そんな早朝におそらくすごい形相だったに違いない私を見て、何かあったんだろうと思ったかもしれない…、部屋を押さえてくれた(笑)。ありったけの感謝を伝えて、またチェックインの時間に戻ります…と一旦ホテルを後にした。

取り急ぎホテルに泊まれることになってホッとしつつ、私は走ってコンドミニアムに戻り、母の腕や脚など食われたところにラナケインを塗りたくった。元々母は肌が強くないし患部に熱までもっていたので心配したが、応急処置が少し効いた。
だが、長居は無用、とにかく早く避難しなくては!と思い、早々にコンドミニアムをキャンセル、チェックアウトして、一旦私のアパートに避難することにした。急なキャンセルを何も言わずに黙って受け入れてくれたところをみると、おそらく過去にも前科があるのだろうと思った。

アパートの私の部屋は4畳半あるかないかの小さな部屋だが、両親を招き入れてホテルのチェックインの時間までひとまず休憩してもらうことにした。
幸いルームメイトは帰省中で居なかった。

部屋は引っ越して来た時に床をピカピカに拭き掃除して、新しく買ったベッドマットレスを直置き。あとは小さなテレビがあるだけの部屋だ。
窓に立てかけた大きな扇風機を回せばエアコンがなくてもまあまあ快適だ。少なくとも先程のコンドミニアムの部屋の空気よりは良い。
最初はこんな部屋に親を招くのも…とためらっていたのだが、当の両親はまんざらでもなさそうで、母は「狭いけど案外居心地良いわね、ここ」などと言っていた。
痒みと腫れもだいぶ治まって、とりあえずよかった。。

一息ついたところで、コーヒーでも飲みに行こう…ということになり、3人でバークリーの校舎の向かいのスタバに行った。
普段は授業後に宿題をやっていたお決まりの場所だったので、そこで両親とコーヒーを飲んでるのも不思議だったが、早朝から散々な思いをし、とにかくやっと温かいコーヒーが飲めてみんなホッとした。

ホテルのチェックインまではまだ時間があったので、スタバの帰りにスーパーに寄ってみた。海外のスーパーを見るのも楽しかったのかもしれない。母が「枝豆がある!!茹でるくらいならあのキッチンでもできるわよね?」と言って、買って帰ったのを覚えている。
アパートに戻ると「茹でてホテルに持って行って乾杯しよう!」とか言いながら楽しげに母が山盛りの枝豆を茹でていた。


やっぱホテルが安心&最高

そんなこんなでチェックインの時間が近づき、荷物と茹でた枝豆を持ってコプリープレイスのウエスティンホテルへ向かった。

私がフロントに行き、今朝予約したんだけど…と言うと、後ろに居た両親の姿を察してくれたのか、「River View(チャールズ・リバーの見える)部屋が空いてるからどう?」と提案してくれた。当初の予約より少しお値段上がるけど…、と父に確認するとOKが出たのでその部屋にしてもらった。粋な心遣いが嬉しくてたまらなかった。
私はアメリカで大ピンチを迎える時、偶然いつもイイ人に出会って、救われて、本当にラッキーだと思う。

案内された部屋に入ると大きな全面窓の開放感あふれる部屋だった。眼下にはレンガ色の可愛らしい街並みとその向こうにチャールズ・リバーが一望できる素晴らしい景色!
両親ともその部屋をとても気に入ってくれた。大きなチェーンのホテルの安心感といったらない…とこの時心底思った。笑 

まだ昼間だったが、最高の景色と茹でてきた枝豆をつまみに、やっとめでたくビールで乾杯した。もうはじめからホテルにしておけば良かった…(泣)とも思ったが、その後何年経っても「あの時の枝豆ほんとにおいしかったわね~…」と、ことあるごとに母が言うほど印象深いものになったと思うと、そんなトラブルも良い経験だ。


ボストン観光

ボストンは小さな町だからそんなにたくさん観光するところもなかったが、バークリーのブックストアで学校のロゴが入ったグッズをお土産に買ったり、ニューベリー・ストリートのエスニックなインテリア雑貨のお店でタペストリーを買ったり、私の大好きなチャールズ・リバー沿いをのんびり散歩しながら、ファニュエルホール・クインジーマーケットの方まで行ったりもした。

また、こんな時くらいしか乗らないだろうと思い、いつも走っているのを横目で見ているだけだった水陸両用車で市内を周るダックツアー(車がアヒルを模しているためそう呼ばれていた)にも参加した。
道路から川の中にざぶんと入る時はアトラクション感があってワクワクするし、車のまま水の上をぷかぷか周遊するのは不思議な感覚を味わえた。あいにく雨模様だったのだが、十分楽しめた。

おそらくボストンはそんな感じで3泊くらいだったと思う。


いざ、タングルウッド音楽祭へ

そして次に、この旅のメインイベントであるタングルウッド音楽祭に行くため、(中距離?)バスでマサチューセッツ州のレノックス方面へ向かった。

コンサートチケット、バス、宿はまた私がネットで予約していたのだが、当日まだスマホが無いしGoogleマップのようなわかりやすい便利な地図アプリも無い。かなり調べてから取ったつもりだったが、着いてから「やられた…」と思うことがまた起こった。

確かバス停から宿(日本でいうペンションのようなところだった)までのタクシーの中で運転手さんに聞いたと思うのだが、その宿からタングルウッドの会場までが想像以上に遠かったことが判明した。
「歩けないことはないけど、大抵は車で行くかなぁ…」と言われてしまった。歩くとどのくらいなのか聞くと、30分くらいかかるかもしれないと言われた。とてもぼんやりした情報だったが、父が歩けないことないなら歩いてみようよ、と言うので、宿にチェックインして荷物を置いた後、準備をして会場まで歩いて行くことにした。

"バークシャーの森"というくらいで、豊かな緑の木々に囲まれた舗道を車にどんどん抜かれながら歩いた。確かに30分くらいはかかったと思うが、歩けないことはなかった。だが、帰りのことを考えると、街頭もないこの道はきっと夜になったら真っ暗だ…と思った。
「これ、帰りどうしよう…」という大きな心配事でまた私の頭の中は占拠されてしまった。。
とりあえず、夕方まだ完全に陽が暮れてしまう前に無事会場に着いた。そして軽く腹ごしらえしておこう、とフードコートのようなところでピザを買って食べた。

*****

私はボストンに引っ越してから、1度は小澤征爾さんの指揮するボストン・シンフォニー・オーケストラを聴きたい!と切望していた。
この年はタングルウッド・ミュージック・センターの60周年アニバーサリーとのことで、小澤さん指揮のボストン・シンフォニー・オーケストラとボストン・ポップス・オーケストラが両方一緒に出るガラコンサートが開催される。こんな楽しいコンサートある?!とものすごく楽しみにしていた。

(先日、BSOのプログラムアーカイブを検索していて、当時のプログラムを見つけた↓)


半野外のアンフィシアター状の会場だったと思う。屋根の外ではピクニックシートを敷いた人たちがゆったりリラックスモードで聞ける。
その雰囲気も最高だった。

それなのに、、、

席に着いてから開演までの間に、私は胃腸の具合が急変した。
元々不安や緊張が胃にくるタイプではあったが、、帰りどうやって帰るかの心配に加え、少し前に食べたピザに乗っていたほぼ生のタマネギで胃が焼けた&夕方から急に気温が冷えた…などの要因が重なり、腹痛とひどい胸焼けでトイレにこもることになってしまった。
胃薬を飲んでも精神的なものもあったせいか全然効いてこない。すぐにトイレを行き来できるように、結局最後まで客席に戻ることができず、トイレの個室で音漏れを聴くか、屋根の外から立ち見するに留まった。

そんな素晴らしい演奏者の集まりによる、絶対に楽しかったであろう演奏を半分も堪能できなかったこともとんでもなく悔しかったし、おそらく両親もなかなか戻らない私を心配しながらで十分に楽しめなかっただろうということも心残りだった。。(楽しかったよ、とは言ってくれたけど…。)

*****

そもそも私がなぜそこまで帰りの心配をしていたかというと、アメリカの田舎でタクシーを呼ぶ場合、待てど暮らせどタクシーが来ない…という経験を過去に2度ほど経験したことがあるからだ。
電話をして「~分くらいで着く」という言葉がその通りだったことがない。知らない田舎町でぽつんと1時間以上車を待つのは心細いこの上ないのだ。自分だけならまだしも、両親にそんな思いをさせたくなかった。

コンサートが終わって会場の入退場ゲート付近でタクシーを呼んだ。しばらく待つのは当たり前だが、ちゃんと車が来てくれたことに心底ホッとした。私の必要以上の心配をよそに、割とスムーズに無事宿に戻ることができた。

部屋に戻ると珍しく両親が優しかった。
「まぁ風呂でも浸かって温まってきたら?」と母が早速お湯を張ってくれたので、湯船に浸かった。悔しさと安堵が押し寄せて涙がぽろぽろ出てきた。

翌朝、宿の朝ご飯がとてもおいしかったのを覚えている。ペンションのテラス席のようなところで、宿泊者はみんなそこで食事をする。
ビュッフェ形式だったと思うが、焼きたてのいろんな種類のパン、ふわふわのスクランブルエッグ、味の濃いソーセージやカリカリに焼いたベーコン、たくさんの果物、おいしいコーヒー。。
私はアメリカの食事で朝ご飯が一番好きだ。両親も朝ご飯とってもおいしかった!と言ってくれた。

その日はチェックアウトをし荷物は宿に預けたまま、タクシーでノーマン・ロックウェル美術館へ行ってみた。
かわいらしい木造の建物だったと思う。
コカ・コーラのアドバタイズメントで知られているオールドアメリカンの象徴のようなあのイラストは見ていてとてもキュンとする。オリジナルを見ることができたのはとても嬉しかった(まぁ私は疲れていてあまりよく覚えていないのだが…笑)。少し歩くと彼の使っていたアトリエも見ることができる。
混雑していたミュージアムショップでお土産にマグネットをいくつか買った。

実家の冷蔵庫に貼ってあったお土産のマグネット。日本でも手に入りそうな気もするが、これは現地で買ってきたもの!笑


確か少し周辺を歩くと小澤征爾ホールがあったと思う。大きくは無いが立派な美しいホールで、こんな場所に日本人の個人名のついたホールがあることに、感慨深いというか、本当にすごい方なんだな…と改めて思った。

その日はとても爽やかな晴天で、外に拓けた芝生の丘はとんでもなく気持ちが良かった。母とベンチに座って少しひなたぼっこしていたら、ようやく私のツアコン(笑)としての諸々の緊張がほぐれてきたようだった。
なんて言われたか正確には思い出せないが「ほんとここ良い場所ね…。ちょっとは具合良くなった?」みたいな会話をして、また少し涙がこみ上げそうになった。
たぶんあの時が後にも先にも人生の中で一番母が私に優しかった瞬間だったと思う。。

*****

荷物をピックアップして、帰りはまたバスでボストンへ。
バスが来るまでの間、近くのコンビニのようなところであれこれ珍しいおやつを買ったりしたのはなんだか楽しくて覚えているのだが、その後バスに乗ったことも、ボストンに戻ったことも、いつ両親と別れたのかも覚えていない。
ただボストンに戻って泊まった記憶がないので、そのまま両親を空港まで送り届けて別れたんじゃないかと思う。確か両親は彼らの旅の行程の途中でボストンに寄ったはずで、次の目的地(ニューヨークだったかな?)へ向かったんだと思う。
怖いくらい記憶にないのが私が疲れ果てていた証拠だと思うが(笑)、それでも今思うと印象深い思い出だ。


そんなボストン~タングルウッドの旅。

ボストン滞在中、夕暮れ時のチャールズ・リバー沿いの散歩で父が撮ってくれた、水面がキラキラと美しい写真とかもあったはずなのに、探す余裕がなくてそのまま実家に置いてきて、処分されてしまったことがとても残念だ。。


23年越しの伏線回収なるか…?!

ところが今年、2023年になって過去の様々な心残りをリベンジできるかもしれないと思える機会がやってきた!

私の敬愛するピアニストの角野隼斗さんが9月にボストンのシンフォニーホールでボストン・ポップス・オーケストラと共演、アメリカデビューを予定している。

今はネットのおかげで世界が近くなりつつあるのでやや考え方が古いかもしれないが、私はやはりエンタメを制するにはアメリカだ…と思っている節がある。かつて私の好きだったイギリスのロックスターたちもヨーロッパを制した後は、アメリカへ向かう傾向があった。
角野さんはクラシックピアニストだけれど、その域にとどまらないエンターテイナーであり、クロスオーバーな音楽家だ。現在ニューヨークにも拠点を設けているが、彼がニューヨークを選んでくれたことが私は個人的にとても嬉しかった。だから彼がアメリカデビューするときは絶対に遠征しようと決めていた。

そのデビュー戦がボストン・ポップスとの共演と知って、私は胸が高鳴った。あの時タングルウッドまで行ったにも関わらず、ボストンポップスの演奏をほぼ全く聴けなかったのは、この日のための布石だったのかもしれない…とさえ思った。
さらに昨年、大好きなブロードウェイミュージカル「オペラ座の怪人」が終幕すると知って、年末にニューヨークに行こうと思いすべて手配したのに、私の体調不良で泣く泣く諦めざるを得なくなったという一件があった。しかしこれもアメリカ旅行をするのにもっとベストなタイミングがあるから待て!という天からの強制ストップなのだと思っていた。
そしてこの最高のチャンスがやってきた。
思わず「やっぱり待てのサインだったんだ!」と納得してしまった。笑

角野さんがニューヨークに拠点を構えたのは今年4月くらいだったので、正直デビューはもう少し後かもしれないと思っていたのだが、予想より早かった。(←失礼しました!汗)
「え!もうこの時が来た?!」と少しばかり焦ったが、このタイミングで行かない理由が無い。

私はこの9月に約15年ぶりにボストンへ行くことにした。

約15年ぶりというのは、学生を終えて社会人になってから、貯めたお金で母にニューヨーク〜ボストンの旅をプレゼントしたことがあったからだ。
ニューヨークではメトロポリタン美術館やMoMAを巡り、ブロードウェイでミュージカルの「ライオンキング」を観た。
ミュージカル鑑賞後には、当時ニューヨークで働いていたバークリー時代の友人と落ち合って、素敵なお店でディナーとワインを楽しんだ。
その翌日、初めてグランド・セントラルから列車に乗って、のんびりボストンへ向かった。
ボストンでは、あのチャールズ・リバーの景色が一望できる思い出のウェスティンホテルに泊まり、あの時の枝豆&ビールを懐かしみ(笑)、ファイリーンズ・ベースメントでショッピングをしたり、コリアンタウンの日本食レストランに行ったりした。
母と二人きりでの海外旅行はそれが最初で最後となったから、行っておいて本当に良かったと思う。


私にとってはその時以来の渡米だ。
今回はニューヨーク→ボストンの一人旅。
過去の諸々の心残りを回収し、気持ち良く自分の次のステージへ踏み出すための心機一転の旅だと思っている。
とても楽しみだ。

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