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作・演出・主演

 皆さんは、落ち込んだ時の自分なりの対処方法、ありますか?私はすぐ、反省し過ぎる癖がありまして。
もちろん、反省するのはいいことなのですが、何事も「度を過ぎると良くない」と、かのシェイクスピア大先生も言っておりますし、独り反省会を無意識に始めてしまいそうな時は、一度思考をリセットするようにしています。

↓ほどほどの進めについては、こちらもどうぞ♪

忙しくて余裕のない時にマイナス思考にはまりがちなのは自分でもわかっているので、まずは睡眠時間を少しでも確保するようにしています。

眠りの大切さは、私の好きなシェイクスピアの台詞にもたくさん出てきますからね!

そして、落ち込み状態から抜け出したい時に、最近やっているイメージトレーニングがありまして、自分で言うのもなんですが、とても効くのでご紹介したいと思います。

「この世は舞台」その主役は?作者は?

シェイクスピア作品には、私たちが生きているこの世界は1つの舞台で、人間は役者だという台詞が何度も出てきます。

以前、恋についてのエッセイにも書いた「お気に召すまま」の台詞がとても有名です。

この世界すべてが一つの舞台
人はみな男も女も役者にすぎない。
それぞれに登場があり、退場がある
出場がくれば一人一人が様々な役を演じる

(松岡和子訳「お気に召すまま」第二幕第七場)


シェイクスピアの、この世は舞台で、私達は役者だという例えに、私はとても救われて心の支えになっていたことがあり、特にこの台詞が昔からとても好きでした。

人生で辛い時期には、
今の私はこの役を演じる番なんだ、
この役を演じているんだと思えば乗り切れる!名女優になってやろうじゃないの。
というマインドで、乗り越えてきました。

シェイクスピアの四大悲劇といわれる作品にも、このような台詞が何度も出てきます。
やはり悲劇なだけあり、またマクベスやリア王など、歳を重ねた人物が話す言葉には、もっと達観した響きが漂います。

以下は有名なリア王の台詞。

人間、生まれてくるとき泣くのはな、この
阿呆どもの舞台に引き出されたのが悲しいからだ

(小田島雄志訳「リア王」第四幕第六場)


人生に絶望し、不幸のどん底をさ迷う老いたリア王には、この世は生まれてくるのが悲しい場所。「阿呆どもの舞台」に思えるんですね。

また、マクベスの台詞には、さらに悲痛な響きがあり、胸を刺します。
「妻」であり、「運命共同体」のパートナーであったマクベス夫人の死の知らせを聞いたマクベスの、心の痛みが表れている、こちらも名台詞です。

明日も、明日も、明日も、
とぼとぼと小刻みにその日その日の歩みを進め、
歴史の記述の最後の一言にたどり着く。
ーー消えろ、消えろ、束の間のともし火!
人生はたかが歩く影法師、哀れな役者だ、
出場のあいだは舞台で大見得を切っても
袖へ入ればそれきりだ。
白痴のしゃべる物語、たけり狂うわめき声ばかり、
筋の通った意味などない。

(松岡和子訳「マクベス」第五幕第五場)


この台詞に出会ったとき、これほど絶望した台詞があるだろうか、とまずは思いました。

そして、この痛烈な絶望の裏にある、マクベスの妻への愛や、二人の深いつながりを感じて、とても心に刺さりました。。

初めてマクベスを読んだのも観たのも大学生の時です。
こんなに愛される人生、私に訪れるのかな、と。。

「マクベス」の感想が、この夫婦って大恋愛だよなーってベクトルになる人はあまりいないかもしれないけど(笑)
人生において恋愛のウエイトが非常に重い私には、そんなふうに感じられたのでした。


ともあれ、何度もシェイクスピアの作品で「この世は舞台だ」という台詞に触れ、この考えが私の人生観にも深く根付いていったのです。

そして、考えるようになりました。
「この世は舞台」だとしたら、その作者は?
演出家は?

それは、自分なのです。

そして、演じているのは?
もちろん、家族や友人、恋人など、この人生という舞台には、たくさんの登場人物がいますよね。

では、その中の「主役」は?
これは、もちろん自分自身です。
どんな人でも、自分の人生という舞台では、自分が主役なのです。

台本を作るのは、私

舞台には、台本があります。
そして、演出家(=監督)がいます。

自分の人生、主役が自分なのは、イメージしやすいですよね。

でも演出って?そして台本?台本通りにいかないのが人生でしょ。。
ましてや、他の登場人物がどう動くかなんて、わからないし。

そんなふうに思うかもしれません。
その通りです。
誰かの人生の台本を書くことはできません。
台詞でも、ト書きでも。

けれど、自分の人生の台本だけは書ける。

どんな台詞を話して、どんな道を選ぶのか、その筋書きを決めるのは自分なのです。

ところが、筋書き通りにはいかない出来事が人生にはつきものです。
そして、人生という舞台の面白いところ、また厄介なところは、それぞれが「自分が主役の台本」を持って動いていることです。
これが、普通の舞台とはまったく違うところです。


つまり、思い通りにいかないことの方が多くて当たり前。
行き詰まったら、まずはそんなふうに考えます。

そして、自分ではどうにもならない不幸や災難に見舞われることもあります。
登場してほしくない人物が、舞台に乱入することもあります。

そんなとき、思い出してほしいのです。
自分の人生は「演出家も自分である」ということを。

自分で台本を書いて演じているはずなのに、想定外のシーンが差し挟まれたらどうするか。
そんなシーンは、カットするんです。

黒歴史、なんて言い方もありますよね。
でもあれって、私には黒塗りした台本を、そのまま残しておくイメージなんです。
そんな見たくない過去のページは、自分の記憶、心の記録、人生という舞台の台本に、残しておく必要もないのです。


もちろん、残しておくのも消去するのも自分次第。
例えば、成就しなかった恋愛を、自分の人生という舞台の台本に残しておくのも自分次第です。
削除したいものは、消す。
残したいものは、残す。

↓(恋についての過去記事)↓

今日は落ち込んだ時の立ち直りの話、ですので、
自分にとって不本意なページ、心が重くなるようなページは、ピリピリと台本から切り取ってしまいます。

そして、中も見ないように丸めてしまうんです。
そしてポイ!

それが、演出です。
あなたの人生という舞台に不要なシーンを、わざわざ台本に残しておく必要はないんです。

人生という舞台は一度きり。
なので、もう二度と演じることのない台本のページなわけですが、
過去のページもパラパラとめくってしまうのが人生。

あの時、どんなふうに立ち直ったんだっけ?
どんな台詞が力をくれたんだっけ?

そんな前向きになる、ヒントを求めてのことならまったく問題ないのですが、
私はうっかり黒歴史ページまで覗いてしまい、
どんより落ち込んでしまうので、、
ページを切り取って丸めてポイ!を心がけるようになりました。

過去の苦しみを抱えて生きている人には特に伝えたいです。

あなたを苦しめた出来事、思い出したくない人物、そんなのはページごと切り取って、丸めて削除しましょ。

私は最近、本当に具体的にイメージします。
ページを切り取り、紙を丸める。何度でも。

自分の人生、自分が台本を決めていい、演出していいという考えを、このイメージがとても支えてくれるのを感じると思います。
ぜひ、試してみてくださいね。


傷付いた人は、苦しみを知らずに生きる人よりも、人生の味わいが深いものです。
苦しんだ人は、身の回りのささいな幸せにも気づき、幸福を噛みしめることができると、私は実感しています。


「過去」と「他人」は変えられません。
変えることができるのは、「未来」。
そして、「自分自身」です。

これを読んでくれたあなたが、もし辛い何かを抱えていたら、
どうか乗り越えて、素敵な舞台を作っていけますように。









 

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