見出し画像

孫ブルーという言葉。祖母という立場

世の中には祖母に子どもを預け働きに出てる方は一定数いると思う。

祖母が近所に住んでいる場合、保育園のお迎えを祖母に頼んでいる方もいる。

私の会社にも育休明けで復帰し、赤ちゃんが熱を出した場合「パートで働いている祖母が帰宅しだい赤ちゃんを祖母に預けて会社に出勤します」という新たなパターンが登場した。なんとパート先から昼過ぎに帰宅する祖母に赤ちゃんを預けて本人は14時から16時までパート出勤するのだ。祖母はパートから一目散に帰宅せねばならない。同情する。

娘が困っているのであるから、祖母である自分が助けるのは当たり前。その心情は分かる。私も娘がいて、同じ状況なら助けるだろうか?
まぁ、助けるよね。最愛の娘が困っているのだ。助けるしかない。その場合、私が仕事休みますね。たぶん。

祖母とは。確かに便利な存在かもしれない。この場合多くが自分の母親だろう。だが、最近の「祖母」は私も含めてフルタイムで働いている人も多くいる。

私の友人は正社員として働いていた。近くに両親が住んでいたため、育休後は出勤時に預けに行き、保育園の送り迎えから晩ごはんを食べさせるところまですべて祖母が引き受け育てていた。ほぼ、祖母が育てたと言っても過言ではない。祖母は専業主婦であったため面倒を見ることができたのだ。

あるとき、友人のお母さんとしゃべる機会があったとき友人のお母さんは私に「もう、言うこと聞かんし大変なんよ、娘の子どもとはいえ無責任には育てられへんのやから」とこぼしていたのが忘れられない。もう1度子育てなんて私には出来ない。ようやく子育てから開放されたのにふりだしに戻るのだ。桃鉄もビックリである。キングボンビー登場だ。

今、私の子どもは26歳と23歳で長男は結婚して一人目の子どもがいる。自慢ではないが嫁も孫も美人である。いやそんなことはどうでも良い。
孫は2歳、嫁ちゃんは今は専業主婦である。嫁ちゃんのお母さんは月に1度くらい泊まりに来る自分の娘と孫の面倒を見ている。たまになら問題は無いと思う。
幸い、嫁ちゃんがうちに泊まることは無い。嫁ちゃんの実家は同じ町内でうちの裏通りにある。うちと嫁ちゃんの実家は歩いて1分だ。校区内で結婚したのだ(・∀・)

年末年始などはお互いの実家をハシゴして過ごしたのち、嫁ちゃんと孫は自分の実家へ、息子はうちで泊まる。なんとも不思議な感じだがお互い気を使わなくて良いのでなかなか良いと思っている。

孫ブルーという言葉が生まれて久しい。

孫の世話が大きな負担となり、肉体的・精神的に疲れてしまう「孫疲れ」は、若い世代で共働きが当たり前になった現代では珍しいものではなくなりました。食事の用意やお泊まりの世話、遊び相手などで心身ともに消耗してしまい、孫を預かるのが嫌になるケースも多くなっています。

ネットより抜粋

昔ならそんな言葉はタブーであっただろう。孫、孫、というジジババ世代待望のお孫さまなのだから。
私にはジジババがなぜそこまで孫、孫というのか意味不明だが子孫を残したいという本能が言わせる言葉なのだろうか。
結婚したら毎日励めよ、ってこと?
余計なお世話だ、バーカ。である。

一定数、孫をせっつく化石みたいな層がいるのは確かだが、一方で子育てから開放されてもう二度と子育てはしたくない層がいるのも確かな事実なのだ。

子どもは命を捨てても守りたい存在であることはこの先も変わらないが私が私の人生を生きることとそれは別の話だよ、って話。

お母さん。昔、子どもと私が調子悪いときにパートから帰ってきて電車に飛び乗ってご飯届けてくれてありがとう。そんな時期もあったよね。

私は下の子が1年生になるまで専業主婦させてもらったので保育園へ預ける大変さを知らない。周りのママたちもみんな幼稚園ママだった。

今の若いお母さんたちが毎日1歳になったばかりの子を保育園へ子どもを届けてから出勤してくるのを見るとほんまにお疲れさま、って思う。そりゃ、初めての集団生活、風邪や胃腸炎をもらうに決まってる。下手したら一家全滅だ。

子どもがゼロ歳から働かねばならん日本の国ってなんなん?とも思う。

話がまとまらないが「孫ブルー」という言葉がある時代に祖母になれて良かったと思ってる。いろんな祖母がいていいのだ。

合わせてこちらも読んでいただけると私がどんな人物なのかわかりやすいかもしれません。


この記事が参加している募集

#これからの家族のかたち

11,359件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?