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きかなくていい話

コロナ禍となって、オンラインを使って学ぶ機会が増えた。すごい人たちの練り上げられた知識を、インターネットではあるが“その人”が直々に、素人でも分かるように伝えてもらえることすら普通にある世の中になったのだ。
しかし、そんなふうに得た知識には短所がある。どんなに素晴らしい情報であっても、そのままでは自分が使いこなせる状態にないことだ。聞き手の時間的・空間的な、また身体的な体系の中に、得たものを自らプロットする必要があるのだ。
だが、そのような困難も、デジタル世界の進化により、オンラインによる学びを、そのままリアルな自分につながる体験にできる可能性が見えてきている。

それならば、学びのプラットフォームをオンライン上で充実させれば、学びの文化は広がっていくのか。
――それは違う、と私は思う。
久々に、サークルの勉強会に出かけて、そう感じた。外部講師を招いての、仲間たちとリアルな場で行ったワークショップだった。気心の知れた人と学び合うことの意義を、改めて理解したのだ。

人は、もらえるものは、もらえるだけ、もらっておきたくなるものだ。だから、オンライン上にあふれるコンテンツで勉強していると、知識を詰め込むだけ、詰め込んでしまいがちになる。自分の体質には合わない薬草であっても、今となっては役に立たない遺物であっても、もう少し先でなければ読みこなせない呪文であっても、だ。
「これ、今知らなくていいかも?」とある程度の自信をもって判断するためには、私と“ちょっと先輩”のあなたがいるリアルな場で、情報と私の相性を、五感すべてを使って精査し、その判断を先輩から承認してもらう必要がある。
もちろん、知らなければ何も始まらない。しかし、何かを知ってさえいればいい話でもない。こんがらがったまま頭に蓄積しているだけでは、知識は使いものにならない。不要な情報が引かれ、この身とリンクさせて、私がすぐ使える知恵にするためにも、学び合う仲間は不可欠だ――。そんなふうに、学ぶことに真摯に向き合う仲間の放つ熱量を受けながら、思った。

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