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箱根駅伝を支える中継所ドクターとは?

こんばんは、ライター修行中のAikaです。
昨日は創価の元主将で無類の駅伝好き、濱野将基選手について取り上げました。

↓昨日のブログ↓

今日は箱根駅伝を水面下で支えている存在である、中継所ドクターについて取り上げさせていただきます。

中継所ドクターとは、箱根駅伝の各中継所に常駐してくださっている医師のことです。
(この他、スタートとゴール、選手に伴走する車にも医師がいます)

箱根駅伝自体は戦前発祥の伝統ある大会ですが、昭和の途中まではスタートとゴールには医師がいても、中継所に医師の常駐は無かったそうです。
(当時は途中棄権自体も50年で3回程度と滅多にないことでした)

しかし昭和時代、途中棄権する学生が出た際に、中継所に医師がいないことが問題となりました。
この時に積極的に手を挙げ、順大同窓会に声をかけて医師を集めたのが順天堂大学医学部OBの宮川さんでした。

そのため、今も昔も中継所ドクターは全員、順天堂大学医学部OBです。
彼らは正月の2日間、手弁当で選手のために協力してくださっています。
当時は多くの大学でスポーツにおける医学が重要視されていなかった中、順天堂大学は早くから陸上競技部のような体育会と医学部の協力の必要性を意識していた、というのもこういった活動につながったようです。
(文化放送ラジオより)

※こちらについては賛否ありますが、議論目的の記事ではないので今回は触れません。参考記事のみ置いておきます。

順天堂大学は第71回以後、複数回選手の途中棄権を経験している大学でもあるため、より一層必要性を感じて継続されているというのもあるかと思います。
また、順大は医学部を擁する大学の中で、コンスタントに箱根駅伝へ出場し続けている伝統校であるというのも大きいでしょう。

今ではマラソン大会でも救護ランナーと呼ばれる医療資格を持っていてコースを周回しているランナーの方もおり、こういった医師の常駐が当たり前になってきました。

また、近年は異常気象といわれる猛烈な暑さ、湿度の高さ、日差しの強さも指摘されており、より一層欠かせない存在になっています。

こういった中継所ドクターに感謝するとともに、持続的にできる仕組みづくりや引き継ぎをしていけると良いなと思います。

今日はこの辺で。明日も頑張ります!

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