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日本一控えめな県庁所在地?〜山口県山口市

写真を整理していると、旅のふり返りができてとてもいいものです。
たくさん撮ったまま二度と見ない人も多いらしいけど、一度でいいから季節の終わりに整理することをお勧めします。いろいろ気づくことが多いし、自分はどんなときに写真を撮りたくなるのか、自分の性格を客観的に把握する機会にもなります。

そう言う僕は、こうして駅舎の写真ばかり撮っているヘンなヤツです。
そしてこの夏、いちばん印象に残ったのは山口駅でした。地元の人は「日本の県庁所在地でいちばん地味な駅」と言っています。しかしこんなふうに、よその資本による商業施設の入っていない駅舎を見ると清々しい気分になれます。地元のお土産物屋さんや喫茶店だったら歓迎だけど、今やどこにでもあるような外資系コーヒーショップなんて、絶対に入れないでくださいね。

県庁所在地駅としての機能は、山陽新幹線の新山口駅に譲ったらしいけど、僕はこの佇まいが好きです。

駅正面の真ん中に、ふたつ並んでいるのは「大内人形」。
この街では戦国大名の毛利氏ではなくて、南北朝〜応仁の乱の時代に名を馳せた守護大名の大内氏が人気です。
山口県と言えば、毛利家と幕末の長州藩のイメージが強いけれど、この山口市においては、あくまでも山内家。調略によって勢力を拡大し、大内家を滅ぼした毛利家は、むしろ疎まれている気配さえ感じました。
滋賀県の長浜市に行くと今でも石田三成が人気ですが、日本の地方都市には、こうしたかつての名君が、数百年の時を越えて今でも人気を保っている街があり、とてもわくわくします。遠く関東から眺めるイメージが覆されるほど、来た甲斐があってうれしくなるというもの。ただし、そういう街に行くときには、多少は歴史の勉強をしておいた方がよさそうです。

ニューヨークタイムズ紙が、山口市を絶賛した理由。

戦乱が続く京の都にうんざりした大内氏は、地元の山口に華やかなりし頃の京の都を再現した。それが全国にあまたある「小京都」の始まり。
そんな風情を感じるのが、山口県庁や県政資料館を中心とした官庁街でした。この周辺には山内氏が残した神社仏閣が多く、静かな並木道も多く、その街を縫うように清流「一の坂川」が流れる。この川沿いは、初夏になるとホタルが舞うという。

そのあたりが気に入ったのかどうか、2024年の一月、ニューヨークタイムズ紙による”2024年に行くべき世界の52カ所”という記事の第三位に山口市が選ばれた。
ちなみに一位は皆既日食を観測できる北米大陸の諸都市。二位は五輪の開催されるパリ。とまぁ、ここまではわかる。しかし第三位がいきなり山口市だったのです。

これには当の山口市民の皆さんもかなり驚いたそうで、「こんなに何も無い街が、なぜ?」という反応がほとんどだったらしい。
その理由は、ニューヨークタイムズ記者のクレイグ・モド氏と伊藤和貴山口市長との対談で詳しく語られています。
要約すれば「日本国内のほかの観光都市と比べて混んでいない」「散歩をしていて楽しい」「この街で暮らす人が穏やか」などなどが理由とのこと。
たしかに僕も街を歩いていると、たびたび地元の小中学生から挨拶されました。

「混んでいない」と紹介されてしまうと、大勢押しかけて混んでしまうのではないか、と不安になる。しかし僕が行った8月上旬には、外国人観光客の姿はほとんど見ませんでした。だからと言って、街の人たちは誰も慌てていないようす。やはり山口市の人たちは控えめなのです。「この街は、萩や岩国などの観光地のB面ですから」とまで言う人がいる。何もそこまで控えめにならんでもいいのに。

街のようすをもう少し。

今回は一泊しか滞在できず、気温35℃の猛暑のため、いつもの街歩きは控えました。が、お邪魔した山口県庁の周りをもう少し紹介しておきましょう。

山口県庁から見る山口市内。緑が多く、静かで美しい街ではありませんか。
上の写真を撮影した山口県庁最上階のホール。地方の都道府県庁に行くと、たいていこのように眺めの良いホールがありますよね。しかし、県民の方はあまり知らない。ゆえにどこも静か。県庁の最上階を観光用に開放しているのは、僕が知る限り佐賀県庁だけじゃないかな。あ、東京都庁もそうか。
山口県庁の裏山をクルマで数キロ登ると、ひっそり湧いている「柳の水」。室町時代にはすでに湧いていたようです。井戸の周りは山の中ですが、ボランティアの人たちがきれいに整備や草刈りをしているとのこと。大切にされていることがわかります。この一帯の水が一の坂川となって、市街地を流れているわけです。
ニューヨークタイムズの記者も散歩したという一の坂川。水が澄んでます。県庁所在地に舞うホタルのようすを、ぜひ見に来なくてはいけませんね。川沿いには心地よい喫茶店や和菓子店もいくつか。
大内氏の残した屋敷や神社仏閣の跡周辺には、涼しげな並木道もあり。紅葉のシーズンが良さそう。
山口県庁と山口駅の、ちょうど間に横たわる、長〜い道場門前商店街。駅は控えめだけど、商店街は決して寂れていません。この提灯が飾られている理由は、夕方に明らかになります。
この商店街には、長く営業していそうな店が多くて楽しい。ここは、いかにも老舗の文房具店(問屋さんなのかな?)。店内は広く、昔懐かしい文房具もいろいろで、文房具マニアの人は軽く一時間くらいは出てこられなくなりそう。

なお、香山公園にある日本三名塔のひとつに数えられる国宝瑠璃光寺五重塔(嘉吉2年・1442年建立)は、現在檜皮葺き屋根の改修工事中のため見学に行けませんでした。完成のアカツキには、見に行かねば。

その夜は、幻想的な「ちょうちん祭」

山口の街は、旧暦七夕の日にちょうちんを飾るんですね。
そしてこの習慣も山内氏に由来する。伝わるところによると、守護大名の大内盛見氏(1399〜1431年)が、先祖の供養のために笹竹の高灯籠に火を灯したのが始まりとか。そして600年後の今も、こうして山口市内のいたるところでちょうちんが灯されます。

薄暮の街に浮かび上がる提灯がうつくし。
昼間に歩いた商店街も、ほら、この通り。
駅まで続く500mほどの銀杏並木には、ずらりと屋台が並びます。
なお、このちょうちんは電気ではなくてロウソクが使われています。この夥しい数のちょうちんの一つひとつが本物の火だというから驚きます。なので、たまに燃え上がるちょうちんもあるという。うっかり上から覗くとアチチです。
人混みに疲れたら、冷たいお酒と山口産の剣先イカで火照りを冷ます。僕は山口県のお酒が好きで、特にこの『東洋美人』が好きなのです。地元にはいろいろな種類があってシアワセです。
山口県の日本海側は、かつて捕鯨が盛んだった地域。「くじらの博物館」もあり、くじらを供養するお寺もあるくらいです。そして久々に、くじらの竜田揚げ。柔らかくてうまうまでした。

そして湯田中温泉で一泊。うわ、駅前には巨大なキツネの像が。

今日は一日炎天下だったし、帰りは駅が混むというので早めに帰りますか。
昼間はあんなに静かだった市内は、祇園祭を思わせる大混雑。日本一地味だという山口駅からは、途絶えることのない人の波。「帰りの切符は今のうちにご購入ください」と繰り返されるアナウンス。外国人観光客がほとんどいない観光地で、これほどの混雑を見たのは久しぶりだ。この夜、山口は燃えていたぜ。

駅周辺にホテルが取れなかったのは、こういう理由だったんですね。
しかし各駅停車で一駅の「湯田温泉」では、余裕で予約できました。しかも山口駅からキハ40系に乗れるヨロコビ。しかもパスモで乗れるし。

僕を乗せるディーゼル音が待っていた。写真なんか撮っていないで急ぎなさい。
列車の中の扇風機なんて、何年ぶりに見ただろう? もちろん冷房は効いてましたが。

久々のキハ40のディーゼル音を聞きながら寝落ちしたかったけど、すぐに湯田温泉駅に到着。そして駅を出ると、なんとデカいキツネの像が。

実は昼間にも見ていたのだけど、こうして夜、不意打ちのように現れると、ちょっと怖い。
昼間に見ると優しい顔をしているんだけどね。

この温泉。キツネが傷を癒やしたという伝説があり、いたるところに大小のキツネの像があります。そして、いたるところに足湯があります。

普通の公園に足湯があるっていいですよね。少し足を突っこんでみましたが、意外に熱かった!

ということで、まだまだ歩き足りなかった山口の街。この次は、ホタルが舞うシーズンに帰ってこようと思います。あるいは紅葉の時期もよさそうです。

最後に、山口に行きたくなった人の予習用に、大内氏についての資料を貼っておきますね。


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