清流と踊りに守られる、奇跡の城下町〜岐阜県郡上市八幡町。
今年の夏は、3年ぶりに開催される行事やお祭りが多い。
僕の友人には夏になると人間が変わってしまうほどのお祭り人間が何人かいる。夏になり、東北や九州に帰る彼らのようすを見ていると、京浜工業地帯育ちの僕にとってはつくづく羨ましく、復活して良かったな、と思う。
以前から気になっていた、岐阜県郡上市八幡町で行われる『郡上おどり』はどうだろう。いつか行きたいと思っていた日本三大盆踊りのひとつ。何よりこの踊りは、7月は毎週末、8月に入ると毎日行われているという驚異の盆踊りなのだ。今年は例年の31夜から17夜に減ってしまったというけれど、復活できただけでも良い知らせ。
郡上市八幡町と言えば、盆踊りだけではなく、街中に水路が張り巡らされた水の街としても知られている。橋から清流の川に飛び込む子どもたちの映像で、ご存じの人がいるかもしれない。どこよりも夏が似合う街に違いない。
思い立ったらさっそく、宿の空き具合を覗いてみる。
やはり、踊りの期間内はどこも満室でした。あとはキャンセル待ちかぁ。などと思いながら宿の人と電話で相談していたところ、一日だけ踊り当日に空きが出そうとのこと。さっそくキャンセル待ちをお願いして、すぐに滑り込めたのでした。ちなみにこの宿はネットでの予約は取っていない。だからこそ電話で直接話していると、いろいろ細かく融通を利かせてくれるもんです。
踊りの無い日は空室があるので、踊り当日の1泊に加えて2泊追加。合計3泊で、伝説の水の街に向かったのでした。
まず出迎えてくれたのは、昔懐かしい木造の駅舎。
僕は今のところ、仕事であれ旅行であれ、日本中どこへでもクルマで移動します。しかし初めての街に行くときには、たいてい最初に地元でいちばん大きい駅に行きます。駅は地域の顔。駅に行けば、その街の人たちのようすや、街のおよその雰囲気をつかむことができる、と考えるからです。
という点で、この街は、なんと美しい駅舎を守っているのだろう。
しばらく木造の駅舎で蝉時雨を聞いた後、八幡町をぐるりと取り囲む国道を通って、いよいよ街の中へ。
橋を渡ると道幅が狭くなる。両側には古い町家が並び、観光客も多い。徐行しているうちに、予約しておいた料理旅館を見つけた。ここは有名な鰻屋さんが経営しているらしいけれど、その話はまた後で。チェックインは午後3時。クルマを置いて、缶ビールを一本空けて、さっそく街を歩くことにした。
東京都港区青山の地名の由来は、郡上八幡のお殿さま。
街はぐるりと山に囲まれている。宿のすぐ裏にも小高い山があり、その上にはお城が見える。そう、ここは城下町なのです。歩いて登るには、ちょっとキツそうではあるけれど、ビール飲んじゃったし、歩いて登ろう。
民俗学者の宮本常一さんは言っているではないか。「初めて来る街では、まず最初に、その街でいちばん標高の高い場所に登る」のです。
城の創建は1551(天文10)年。初代城主は遠藤盛数氏。戦国時代から江戸中期にかけてはたびたび城主が代わったものの、1758(宝暦8)年。青山幸道氏が城主になって以降、青山氏が代々治めることになる。
ちなみにこの青山氏、かつては江戸の青山に広大な屋敷があり… そうなのです。東京都港区青山の地名の由来は、この青山さんなのですよ。
街の中のどこを歩いても、水の流れる音が聞こえる。
お城を下りて、再び街歩き。
先ほどクルマから見たような、町家の並ぶようすが美しい。お城の真下にある柳町は住宅地。子どもたちが川で遊ぶためのライフジャケットやシュノーケルを干していたりして、川とともに暮らすようすが伝わってくる。
郡上八幡の街は、長良川水系の吉田川が東西に流れ、街を南北に二分している。北から吉田川に注ぐ川が小駄良(こだら)川。南から北へ吉田川に注ぐ川が乙姫川。この三本の川が水の街の骨格を形成している。お城は街の北側にあり、そこは城下町らしい職人町や商店街が並んでいる。
それでは街の北側、小駄良川沿いの、鍛冶屋町、本町を歩いてみるかな、と。
本町通りには築百年を越えるような古い商家が並ぶ。相変わらず水の流れる音が聞こえ、道は涼しく打ち水されていて心地よし。
で、通りの突き当たり近く、小駄良川が吉田川と合流するあたりに、水の街、郡上八幡を象徴する湧き水、「宗祇水(そうぎすい)」がある。
この水は、環境省が選定する「日本名水百選」の、栄えある第一号なのだ。
吉田川の北側をザッと見て回ったところで、街を案内してくれる地元の知人と待ち合わせ。この奇跡のような水の街を、さらにディープに見て回ることになった。
この水は誰のものでもない。みんなのもの。
吉田川に架かる宮ヶ瀬橋を渡って新町へ。八幡町の旧庁舎があるなど、官庁街にあたるのかな。こちら側は張り巡らされた水路が露出した通りが多く、涼感が増します。中には大きな鯉が泳いでいたりして、けっこう驚くのだった。そして、どこを歩いていても見かける木製の水槽。これは「水舟」と呼ばれていて、これもまた、郡上八幡の街を物語るシンボルなのではないかと思う。
こうして水路を見て回るだけで、真夏日であることを忘れるほど涼しい。水の流れる音、水に冷やされる路地裏の空気。たまには水舟で顔を洗ったりして。この街では手ぬぐいが必須ですね。
水という、生きて行く上で欠かせないものを、こうしてみんなで守りながら共有する暮らし。耳からは、涼しげな郡上おどりの下駄の音。これが令和の時代の日本なのだろうか? 時空を越えた、おとぎ話の街にでも迷い込んだような気分になる。
その日は土用の丑の日なのだった。
踊りは夜の8時から。それまでに夕食を済ませておこう。
僕が泊まっている宿は、有名な鰻屋さんが営む料理旅館ではあるけれど、素泊まりも可能。自由に食べ歩きたいので、素泊まりにしていたのだ。でも今回、なんと到着日が土用の丑の日だった。だったら縁起物だし、さっそく。
鰻かぁ。東京ではすっかり贅沢な食事の部類に入っていて、もう何年も食べに行っていない。その金額だったら、もっとほかのものを食べたい、というわけです。
こっちのうなぎは蒸さずに焼く。僕は圧倒的に”焼き派”で、あのカリカリした食感がたまらなく好きなのです。これはうれしかったな。
郡上での基本はどんぶりなんだそうだ。うなぎは蒸さない代わりに、どんぶりの蓋で蒸すのだとか。蓋を開けるまでの至福の時間…
調理する直前まで井戸で飼われているとのこと。新鮮なうなぎってこういう味なんだな。いい意味で土臭いというか川の匂いというか。昔、初めて食べた頃のうなぎって、こんな味だったような気がする。金額もリーズナブルなので、これだったら週イチで食べたい。おごちそうさまでした。
そして郡上おどりの会場へ。
郡上おどりの会場は、日ごとに場所を移す。その日は旧庁舎記念館前の広場。宿から歩いて10分とかからない距離だ。子どもたちが吉田川に飛び込む「新橋」の近く。街のちょうど真ん中にあたる。
2022年は感染症対策で、無制限に人数が増えることを防ぐためのパスが必要になる。僕は旅館で渡されたので大丈夫。新橋の上にはゲートが設けられ、マスクの着用を呼びかけられる。なんと言っても3年ぶりの開催なのだ。慎重になるのは当然のこと。
3年ぶりとは言っても、この日は今年の3回め。7月は毎週土曜日に行われ、8月に入ると回数が増える。その間は八幡町の各寺社の縁日も兼ねており、本番は8月13日〜16日の盂蘭盆会。この期間は何と! 徹夜で踊る(今年は感染症対策により、深夜午前1時まで)。そして最後は9月3日の踊り納め。ひとつのお祭りとしては、日本一期間が長いとも言われている。
盆踊り曲は全部で10曲。踊りの最初と最後の曲は決まっており、あとは日によって替わる。曲は多いけれど、踊りは意外に簡単な動きなので、一般客の飛び入りも可能。服装も自由。足の動きさえ間違えなければ、どうにかついて行けそう。中には下駄を鳴らしながら踊る曲もあり、このタイミングが揃うとカッコいいのだ。
なお、踊りが始まる早い時間帯は、地元の高校生の演奏に合わせて踊る。この日は高校3年生による演奏で始まった。3年生とは言っても、2年間は中止だったわけだから、今年がデビューとなる。これまで受け継がれてきたものが、危うく途切れる可能性もあったというわけだ。
などと、踊りについて語り始めると長くなるので、詳しいことは郡上市観光協会のサイトを貼っておきます。
http://www.gujohachiman.com/kanko/odori.html?fbclid=IwAR0mcTef7iwDl95DRnuMzmGILOtcXuxHRrhMrgyDSSJKAEHOOKdYWOJOZfY
踊りが明けた朝。
宿に戻る途中、「七両三分のハルコマハルコマ」というリフレインが頭から離れなかった。踊りの曲の中では、特にポップな『春駒』が気に入った。下駄を鳴らすタイミングや、意外なタイミングで入る手拍子がカッコいいのだ。かつて、郡上は名馬の産地だったという。なるほどな。
宿に戻り、シャワーを浴び、通りを行き交うカランコロンという下駄の音を心地よく聞いているうちに眠ってしまった。そして翌朝。
日が昇る頃に通りに出てみると、なんときれいな雲ですこと。
そして、歩きながらふと気がついた。この街には信号機が無い。そしてコンビニが無い。それどころか、自販機以外で、全国どこへ行っても見るような商品をあまり見ないのだ。にもかかわらす、決して不便を感じない。なぜだろう? たまに観光で来るだけだから、とも思えない。
本町通り、上田酒店の建物は、築160を数えるという。午前中で30℃を越える暑さだというのに、店内は風が通って涼しいこと! この涼しさにつられて、観光客は水を汲みに来たり、辛口の日本酒に浮かべた杏仁豆腐味のアイスクリームを買ったり、店先でぼんやり涼んだり。
もちろん地元の商店街の人たちも涼みにやって来て、世間話が始まる。彼らの会話に加われば、またひとつ地元の情報が収集できる。
という具合に、この小さな商店街には、ほかの街では見ることのできないモノが集まっている。戦国時代から続く城下の商店が、令和の今になっても続いているということか。日本全国、多くの商店街が寂れて行く中で、この街は奇跡だ。ここは独立国なのか? しかも多くの店主は若い。踊りと同じように世代交代がうまく進んでいるのだろうか?
などと、難しいことは次回以降に来たときにでも考えてみたい。とりあえず暑いので、上田酒店で、もう一杯冷酒をいただきながら涼んで行こうと思った。
以上。ほかにも書きたいことはたくさんあるのだけど、長くなったのでこのへんで終わりにします。最後にもう一度、郡上八幡の駅舎を貼っておこう。お世話になった皆さん、どうもありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?