「キャリアプラン」に取り憑かれていた話
友達とランチした時にこんな話をした。
「最近、新しいことを始めようかなと思ってるんだけど、何を始めたらいいか分からないんだよね……。」と。
新卒1年目、9月。
そろそろ入社して半年が経とうとしているこの頃、わたしはとても焦っている気がした。
今の会社にどのくらいいるんだろうか。
今の会社で何を得ようか。
そもそも自分が尊敬している人は、会社も頑張りつつ、それとは別の自分の軸をしっかり持っているしなぁ。
今の会社にそんなに不満はなく(不満を持てる権利があるほどまだ何も貢献していない)部署の人にも恵まれ、仕事は楽しい。
けれど、見えない先のことを気にして、計画を立てようとしてみたり、自分の今のキャリアにラベリングをしようとしたりしている自分がいて。
だから、「やっぱ仕事を頑張りつつも、なにか別の自分の軸を持っていたほうがいいんだと思うんだよねえ」と。
そしたら、友達は私にこんな言葉をくれた。
「今なんとなく学びたいと思えるものに手を出せばいいんじゃない?」
何か、自分の2本目の軸はこれです!と最初から決めるのではなくて、興味のあるものに手を出してみて、結果的にそれが自分の軸になったらいいし、違ったり飽きたりしたら一旦やめたらいい。
そういうのの積み重ねで自分って出来上がっていくもので。
その時々に心惹かれたことに素直に取り組んでみるのがいいんじゃないかな。
***
その言葉を聞いて、こんなことを思い出した。
「キャリア」の語源は「Carraria」というラテン語で、「轍、馬車が通った跡」という意味。
言わば、自分の軌跡のようなものがキャリアなのだと。
***
キャリアの意味が「自分の轍」であるならば、どうしてキャリアプランなど立てられようか。
キャリアプラン とか、
ビジョン とか、
そういった言葉に取り憑かれすぎていた気がする。
就活の時もそんな言葉をたくさん並べたけれど、その時想像していた『キャリアプラン』とは全く違うスタートを切ったし、そんな今を結構気に入っている。
思えばわたしは、最初に軸を立てようとするから、軸を立てた後に"違うかも"ってなっても逃げるのに一苦労することばかりだ。
"完璧主義"だから、新しく立てた軸が中途半端なことが許せなかったりして。
でも、軸を立てられなくて躓いてる今の自分は元も子もないし、軸を立てたとしても軸以外の出会いを取りこぼすかもしれない。
(あるかも分からない)ゴールばかり見ていたら、他の景色が見えなくなってしまう。
ああ、完璧じゃなくて、気の赴くままにがむしゃらでいよう、と思った。
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