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#昭和の10枚 ① 紀元貮阡年

60年代、英米ではフォーク/ロックが目覚ましい進化を遂げカウンターカルチャーがメインストリームに躍り出ていたが、日本では演歌や歌謡曲、それから洋楽がチャートを占拠していた。そんな中、シンガーソングライターとして草分け的存在である加山雄三がブレイクすると、折からのエレキギターブームと相まって若者は熱狂。そうした若者たちは結局、レコード会社の思うがままに利用され"グループサウンズ"という作られたムーブメントを形成。ロックに歌謡曲的な味付けをしてパッケージ化したGSのブームは長続きせず終わってしまった。

また、60年代中盤にはディランやバエズ、PP&Mやキングストン・トリオに魅せられた若者たちはフォークギターを手にして演奏を始める。これはカレッジフォークと呼ばれ、ブロードサイド・フォーや小室等、森山良子などが有名だった。今回のフォークルも、出自は京都のカレッジフォークグループ。だが、その実験的で革新的な活動はアングラフォークからJPOPへと続く系譜の起点でもあり、その価値は計り知れないのだ。わずか一年でこれだけ濃密な活動をしたグループは後にも先にもフォークルだけだ。

ザ・フォーク・クルセダーズ - 紀元貮阡年 (1968)

さて、彼らが唯一残したスタジオアルバムが"紀元貮阡年"だが、同時代の英米の最先端を敏感に吸収・昇華している。まさに"和製Sgt. Pepper's"と呼べるサイケな作品。本作が68年当時の日本で2万5千枚も売れたのは奇跡だといつも思っている。というのも、当時はシングル偏重ゆえアルバムチャートすら無かったのだ。

なぜ和製Sgt. Pepper'sと申したかというと、加藤和彦が中期ビートルズのスタジオ実験を大いにオマージュしているからだ。たとえば、日本初のミリオンセラーとなった"帰ってきたヨッパライ"をとっても、"Revolver"に通じるテープ逆回転(ボーカルを逆回転したのは斬新)、エンディングにお経となり歌われる"A Hard Day's Night"など枚挙に暇がない。"オーブル街"でも逆回転が全編にわたって効果音のように使われているし、"何のために"では"Eleanor Rigby"に倣って管弦重奏を取り入れている。

"帰ってきたヨッパライ"や"水虫の唄"などに関してはクラシックの有名曲も引用しており、そうしたオマージュが散見され、それが悪意ではなく敬意として現れるフォークルは後のナイアガラや渋谷系にも繋がっていくのでは、とさえ思ってしまう。それからビートルズだけでなく、"ドラキュラの恋"ではドアーズを、表題曲の"紀元貮阡年"では映画「俺たちに明日はない」の主題歌"Foggy Mountain Breakdown"を下敷きにしている。実は本作のジャケットも同映画から着想を得ていた。

そう、本作はビートルズの実験精神、ドアーズのサイケ、それに珠玉のバラードや童謡、ブルーグラスからアラブ音楽、さらにはGSへの皮肉までを内包した怪物級の作品だ。最後に、このグループはどうしても名前でフォークに括られてしまうが、"folk"は"民謡"の意なので少し的外れだ。"世界の民謡を紹介するクルセダーズ(=十字軍)"が名ばかりでないのは本作を聴けば分かる。全てはここから始まったといって過言ではないだろう。

<合わせて聴きたい作品>

加藤和彦 - スーパーガス (1971) ... フォークル解散後のソロ第二作。大ヒットを連発したはしだのりひこと違い、加藤はアングラなシーンで活躍。本作はイギリスのアシッドフォークやサイケ、グラムロックを現地で吸収した成果。ミカバンドへと繋がる。

岡林信康 - わたしを断罪せよ (1969) ... フォークルの成功により高石ともやらが尽力、設立したURC(アングラ・レコード・クラブ)の看板アーティストだった岡林信康の1st。学生運動と結びつきカルト的人気を誇った本来のフォークソングの在り方を堪能できる。

早川義男 - かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう (1969) ... ジャズ的アプローチでダウナーな音世界を作っていた異端児・ジャックス。そのリーダーだった早川義男の1stで、これ以上ないほど陰鬱でどこの音楽とも結びつかない。ひょっとして日本のロックの主流が"ジャックス史観"だった世界もあるのでは。

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