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そして旅はつづく

人生そのものが旅と言える。この地球のどこかで生まれて、この地球のどこかで死ぬまで。よく言われることだけど。

典型的な転勤族の親の元に生まれたから、何年か住んだら別の街へ。いつも私はよそから来て、そのうち去っていく人間。そこは常に通過地点で、土地にも、人にも、物にも執着しない。

悪くないな、と思うようになっていた。なんというか、「ニュートラル」という感じで気に入っていて、そのスタイルをすっかり身につけた。

でも、地面に雨が染み込むように、いつのまにか私の中に染み込んだ、いろんな印象のカケラがある。

札幌の乾いた爽やかな空気。4月の雪解けを待って、5月になると一斉に花々が咲いたこと。ライラックのパウダリーな匂い。あの広い大地に住む、おおらかでさっぱりした人たち。

埼玉は打って変わってしっとりとした本州の空気。北海道と本州は違うのだと実感した。通学路の左右に田んぼが広がる。大きなガマガエルやイナゴを見たのはここが始めてだった。気温と生き物の大きさは比例するのか?

大阪の街。音楽的な抑揚のあるコトバが飛び交う。人懐っこくてときには無遠慮と思えるくらい、自分と他人との境界線があいまいな人たち。だって大阪のオッチャンは会話している相手を「自分」って呼ぶ。「自分、どっから来たん?」実は、自分のことも他人と同じ距離感で見るという、クールな視点を持っていたりする。

印象のひとつひとつが、いつのまにか磨かれて、私の宝石になっていく。


この春、私は新しい街にやってきた。

山に囲まれた街。街のどこにいても山が視界に入り、私の足は常に登ったり降りたり。目で、体で、山を感じる。

この山のふもとに畑を借りた。

土地に縛られたくない、遊牧民でいたい。そう思っていた。でも、畑をやってみたくなったのだ。今までとは違う流れを感じて、その流れに乗った。この土地とはどんなふうに関わっていくんだろう? 長くここにいるのか、先のことはわからない。いずれにしろ、死ぬまでの旅の途中だ。今、こっちの方向が、幸先いい感じがする。道が明るいような気がする。その感覚に従ってみる。さぁ、どんな旅になるんだろう。

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