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生き返った芸術家

「ただのそこら辺にある石ころだよ。何の変哲もない。だけど、僕が拾って、この手の中で転がして、この目で見る。そうすることで、この石は僕にとって特別な石になるんだ」
芸術家はそう言った。

あるタイミングで、ある作品と出会う。これは僥倖だ。

初めて訪れる町で。
道端のイーゼルに立て掛けてあるポスターが目に留まった。
モノトーンの縦長の画面を一本の線が横切り、上側は白く、下側は明るいグレーに塗られている。
下側には小石が5つ、上から下に点々と、ほぼ一列に配置されている。
タイトルは「石と線より」。
その先のギャラリーで展示されているという。

元は薬屋の蔵だったという趣のあるギャラリーで、展覧会はあった。
作品にはどれも、小石や木の実や流木が、画布に漆喰でだろうか、半分埋め込むようにして配置されている。
ある木の実たちは横一列に。ある小石たちは楕円形に。ある流木は真ん中縦に一本すっと置かれ。
その配置は、細心の注意を払って置かれるべきところに置かれた、という気がした。
しんとしていて柔らかい、そして底に明るい何か、バイブレーションを感じる。

2階では、部屋の中央に白砂が円錐形に盛られ、その周りに流木が放射状に並べられている。20本余りもあろうか。真上から、漬物石くらいの大きさの石が縄で吊り下げられている。
私は周りを回って一つ一つの流木の形を見る。

・・・

作者ご本人がいらしゃってお話することができた。

「震災の後、何も作れなくなってね」

半年余り、何も作れなかった。
彼は外に出かけていって小石を拾い始めた。来る日も来る日も。
その小石を手の中に転がして、見て、彼は思った。
「僕は70歳。70年、地球で生きている。この小さな石は、いったいどのくらい昔に地球に生まれて、この大きさになるまでどのくらい地球で生き続けているんだろう?」
何か、何か作れるかもしれない。
「そうしてできた作品なんだ。誰に見せるというのでなく、自分のために作った作品」

涙が出た。
どこにでもある、ありふれた、ものを言わない小さなもの。
きっとそれは、彼にそっと何かを語ったのだ。
彼は息を吹き返し、インスピレーションを得て、生まれたものは今、私の眼の前にある。

石について語られた言葉たちが、彼によってファイルされていた。
その中の一つ。ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」より

この石は石である。動物でもあり、神でもあり、仏陀でもある。私がこれをたっとび愛するのは、これがいつかあれやこれやになりうるだろうからではなく、ずっと前からそして常にいっさいであるからだ。

(ギャラリー砌「松井貞文展」での体験)

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