見出し画像

神保町・二年越しの古本まつりで感じたこと

季節が巡るのは早いもので、部屋でひとり寒さに縮こまっていたかと思えば、外ではもう桜が芽吹いている。久しぶりに神保町へ足を運んだのはそんな時だった。まん延防止重点措置等で都の要請により、長らくアルバイト先の店が閉まっていたせいで必然的に神保町へ行く機会がめっきりと減ってしまい、1月中旬から3月中旬までは新宿三丁目が私のホームになっていた。

そんなとき、「神田古本まつり」の開催のしらせが舞い込んできたのだ。率直に言ってめちゃくちゃ嬉しかった。というのも、私が高校三年生だった時、つらい受験勉強を乗り越えるにあたって考えていた「大学生になったらしたいこと」のひとつに「神保町の古本まつりに行く」というのがあったのだ。しかしながら、私の入学した2020年度は、不幸にも世界中が「まつり」など開けるようなテンションではなかったから、当然、2020年、2021年と「神田古本まつり」の開催も見送られ、私の神保町ライフはところどころシャッターの閉まった靖国通りを歩き、1冊100円の古本を片手にラドリオで遅めのランチをすることに留まっていた。

古本まつりは、3月17日から21日までの5日間開催されたが、私は3日目に足を運んだ。
よく晴れたうららかな日だった。JR御茶ノ水駅から明大通りを下って、交差点を渡って右に進むと、通りに沿って古本のワゴンがずらっと並んでいる。魅力的なタイトルをした立派な装丁の書、今にも朽ちて飛んで行ってしまいそうな書、あらゆる古本に誘われながらいつもより開放的な街を歩く。なんだかやっとこの街に受け入れてもらえたような気がした。本のジャンルもさながら、来る人間も多種多様で、”如何にも”という感じのおじさんから学生までたくさんの人が掘り出し物を漁っていた。

私は特に目当てにしていた本もなく、しかも予算500円というなかで古本を選ばねばならなかった。ここまで「古本まつり」への喜びに溢れた文章を書いていて予算が500円なんてどういうことなんだよ、という話だが致し方なし。
そうしてうろうろと通りを何往復かしたあとに、キネマ旬報から出ていたフランス映画史の本を一冊買って、ぴったり500円を使い切り、私の「古本まつり」は終了した。

古本を選ぶとき、人はさまざまなものを身体で経験する。
古書特有の匂い、重さ、紙の手触り、そして値段を確かめるときの緊張と高揚感。
紙媒体でのメディアや本の数も年々減少しており、最近では発行部数の減少と材料の高騰で新刊の文庫本が一冊800円を超える、とニュースにもなる世の中だが、まだまだ読むべき本たちはいたるところに眠っている。

私たちが一生かけても読み切ることのできない量の本たちが、この街にはある。これって、救いなのだろうか。
帰りの電車に揺られながら、そんなことを考えていた。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?