お迎え

昨日から本当ありえない所でありえない人とタイムリーに会う連チャンです。
東京から広島に1日帰って来た親友に、偶然同じパーキングエリアで会うという。※高速のパーキングっていっぱいありますので
更に僅か5分から10分の瞬間に。何なんでしょうね偶然って。笑

不思議な体験ってこんな感じで偶然なのか必然なのか、考えてしまいますよね。皆さんもきっと一度はある偶然。偶然って驚きと新鮮さが何故か共通してありますね!偶然について少し長くなって来たので本題に移ります。w

タイトルにある「お迎え」について話していきたいと思いますがここでのお迎えについては、保育所に迎えに行くとかではなく、先祖が自分の死に際に来るお迎えについてです。

今から10年前なのですが、一度経験したものを話していきたいと思います。

当時、河川敷で夜空を眺めながら友人のT君と話してた時でした、何もない場所で階段を降りる音が聞こえて、何今の??ってなったんです。2人ともそこまで気にはしなかったんですが、雰囲気的に不思議な話をしても良いかなって思って、不思議体験をした事をT君に笑われるのを覚悟して話してみたんです。

お迎えが来た日があったんだという話の始まりからT君は笑わずに真剣に聞いてくれました。いつもは笑い流す人なのに。。
聞けば死んだT君の親父が同じ事を死に際に言ってたみたいで、1度目はT君家の仏教の神が来て血液の癌だったんですけど次の日には数値がゼロに。そこから8年後入院して死に際にはおばあちゃんが来た夢を見たと言って次の日亡くなられたそうです。

私の方の内容はそのお迎えの来る前の日に自分の死というものを寝てる時に体験しました。
それは底なしに真っ暗で「無」。自分の死ぬ理由はその時思い浮かんだのはタバコが原因という事でした。※勝手に心に浮かんできます。映像とかそんな感じじゃなくて、無という事が如何に怖い事かが身体に、そして心に伝わる感じ。

その時期、私の事務所には色んな人が来て色んな人が相談をしに来ていました。大半は良い話ではなく、皆さんの「欲」についてが主でした。
原因も、現在起こっている問題も全てその人の欲の延長線上にあって、当時はそんな人達がたくさん来ていたかなぁ。

そんなある日、朝起きて寝ているのに寝ていない様な感覚で、後ろに菩薩が居るのを感じましたというか、後ろなのに見えてるんです。それで私の両側から腕が菩薩の手が2本伸びていて左の手にも右の手にも人が小さく見え並んでいるんです。何やら手に何か受け取ってまた去っていく様子でした。そして、起き上がって周りを見てみると気配が白みかかったような感じ。まるで白いヴェールがかかっている様な雰囲気。
その頃は道路沿いの家に住んでいたので、騒がしいはずの外がとても静かに感じるんです。
そこから顔を洗おうと洗面所に行き鏡をみると何故か透明の涙がスーっと。悲しくも無いのに無意識に出る感じ。まるで自分の身体が解っているようでした。あれ今日出ていくと戻って来れない様な気がして、妻に話しかけるとサッと元のいつもの見える感じに戻りました。
一体なんだったんだろう。。
そこから一週間位かな人が来るのが予知出来て解ったり、お客さんに会えばその人の奥さんの癖までが心に浮かんできて、聞くと全て合ってたりと不思議能力が抜群。ただそこから商売の事を考えたりするとその力は徐々に無くなって行きました。

その時の解釈は、今後人の悩みや苦行を聞いて助けていく事が私の仕事なのかなぁって思ってましたね。※当方18年間デザイン会社をしています。カウンセリングとかはしていません。w

世の中には説明のつかない事がたくさんあるんだなって思います。

それでは下手な文章でしたがご静聴ありがとうございました🎵

次回は、現実的な話「安くしてって言ってくる客へ」です^_^

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