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腹囲が気になる福井の旅 現存天守の丸岡城に登城でござる 19.11.25 09:29

朝から降っていた小雨が登城と同時に上がった。
天気には割と恵まれるタイプ。
おかげでしっとりとした現存天守丸岡城散策となった。

江戸時代丸岡藩の藩庁であった城は今となっては天守のみが残る。
江戸時代の天守が残るが現存12天守の一つ。つまりは明治政府の破却の令を無視したわけだ。
丸岡城は日本中に12個しか無い現存天守の城ではあるが実を言うと福井地震で倒壊して、部材を70%だか80%使って復元したため現存天守ということになっている。歴史的には微妙な感じ。

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坂井市の市街地に突如と現れる平山城の丸岡城。
あぁ、なんだか平和の世の中になってからの城なのかと思ったら、築城は柴田勝家の甥である勝豊による。戦国時代の後、北陸で柴田にかなうものは居ないくらいの雰囲気だったのだろうか?
この勝豊は、清州会議で勝家に割譲された秀吉の長浜城の城主となり柴田家の最前線の武将となったが、賤ヶ岳の戦いを前に秀吉に寝返るという身内の武士とあるまじき行為。病だったんだよな。賤ヶ岳の戦いを前にして京都で亡くなっている。

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天守閣の作りも板張りで様式的には古さを感じる。
現存天守の中でも日本最古の天守閣と長い間言われていて、重要文化財から国宝へのステップアップを狙って県だか市だかが調子に乗って最近調べたら、江戸時代になってからの建築とわかって面目丸つぶれ。江戸時代の建築の割には白漆喰にしないところが福井の時代遅れ感。地震で倒壊しちゃっているし、国宝への道は遠いだろうな。
正直な話、現存天守的には、国宝4城は別格で、では次はとなると松山城か高知城か。そうでなければ備中松山城。丸岡城って・・・最古の天守でも無くなってしまうと・・・ムリムリ。

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天守に登城。大人450円。でも駐車場は無料。不思議な気分。
こんもりとした丘の上に立つ丸岡城の天守閣。坂道がちょっときつい。
お城の周りは簡単な庭園になっているのだけれども、冬支度の雪吊りがすっかり終わっている。雪国では秋を楽しむ間もなく冬の準備に追われるのか。大変だ。

天守閣内はいかにも昔の雰囲気が残る。
味噌煮込みの国のお城と違って身体障害者をおぶって上がるなんて絶対無理な信じられないほどの急な階段、板張りの壁、太い柱。気分はすっかり戦国時代へ(今の天守が建てられたのは江戸時代らしいけど)。見下ろす坂井の街はのどかそのものだが。

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垂直と見まごうような階段には観光客用にロープが張られている。江戸時代には当然なかったもの。袴を履いた侍がロープ無しでこの階段を上り下りするのはちょっとムリだろう。城を枕に腹を切る前に階段から落ちて死にそう。結局、この城を枕に戦いみたいなことは相変わらずなかった模様。なかったからこそ今に残るのだろうけれども。

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丸岡城の屋根って石瓦なんだ。
瓦を焼くよりも石を加工したほうが簡単だったということか。
瓦焼きの技術ってどんなに大変だったのだろう?今となってはあたり前のことだが想像を絶する。
ただ、築城当時は板を重ねたこけら葺きだったらしい。そんなの火矢で大火災じゃないか。石瓦にしたのは後の話。江戸時代という平和な世の中になったほうが戦いの準備が進んだという・・・する気もないのに。

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侍ジャパンとか、侍なんとかとか、最近侍をなんだか日本人の鏡みたいに言うけれども、江戸時代の侍なんて結局お家大事で幕府の顔色をうかがって口や態度では立派なことを言うけれども、ムリをせず戦う気なんてサラサラ無い人達の事のはず。命の遣り取りをするはずのないスポーツなんてそんな程度の心がけってことか。

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なーんて事を現存天守を見ながら思う。天の邪鬼なのかなぁ?





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