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節分の午後、曹洞宗大本山總持寺散歩 横浜市鶴見区 20.02.03 14:00

節分会で訪れた總持寺の境内を散策してみた。
曹洞宗の大本山である總持寺の境内は広大だ。

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ただ、明治政府の要請で輪島から鶴見に移転してきたので、移転後100年は越えてはいるけれども、日本の寺社仏閣的に見ると、その長い歴史に比べれば・・・移転したばかりという感じかもしれない。

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そんな歴史のため堂宇は鉄筋コンクリート造りのものが多めだ。
それでもいくつかは、移築などにより木造の堂宇もあり、そういう建物からは歴史の重さを実感させられる。

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それらの堂宇が回廊でつながっているところが永平寺でも見られる七堂伽藍的というものなのだろうか?

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曹洞宗は鎌倉時代に始まる禅宗の宗派だ。道元を開祖とし、座禅を組むことを生業としている。なので座禅こそ修行となる。
この広大な敷地の堂宇で何人、何十人、何百人もの修行僧が座禅を組む毎日を送っている。

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今のご時世、なんとも不思議な生きざまだし、それが鎌倉時代から続いているのだから、すごいことだ。
今までに何千、何万という修行僧が座禅を組んできたことだろう?
そんな名もない僧侶が積み重ねてきた歴史こそが曹洞宗なのだろう。人ってすげぇ。

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今日も節分会でゲストや年男、年女に混ざって黒の僧衣に身を包んだ修行の人たちが豆をまいてくれていた。
座禅を組むことが修行であるとはいえ、宗派という集団であるならば、若い僧侶もやがて偉くなるわけで、何をして何が選択の理由になるのやら?やがては菅主と呼ばれるようになる人も現れるだろう。純粋に修行だけをしている人もいるのだろうし、偉くなりたいとだけ思う人もいるだろう。人間の業。宗教とか修行とかって何だろう?億万長者になるか、貧乏農場に行くか、リアル人生ゲームの上がりが見えてきたこちらとしては、いろいろと考えさせられる。

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堂宇をいくつか回った後、總持寺といえばやっぱり石原裕次郎の墓に参らないといけない。
境内墓地の奥にある石原裕次郎の墓だが案内板が親切で迷うことはない。
石原裕次郎も没後30年。30回忌を終えて奥さんが弔い上げを宣言していた。
身内も年を取った。30年も御霊を慰めてきたことは頭が下がるが、これで總持寺との縁も薄れていくのだろうか?
そうなると、裕次郎もだんだんと忘れられていくのだろう。今、30歳以下の人たちは生きている石原裕次郎を見たことがないわけだし。時代だなぁ。かくいう自分だって、石原裕次郎が一番イケイケであったことは知らない。刑事ドラマのボス役が当たり前の姿だ。そうなると、ホントのファンからするとまたひと世代違ってくるのだろうし。

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年に数回しか訪れない総持寺ではあるが、訪れれば訪れるたびに色々感じるところがある。ここが禅宗の曹洞宗の大本山だということもあるだろうし、都会の中の広大な境内が醸す雰囲気に圧倒されるからかもしれない。
そんなわけで總持寺は面白い。年に数回ではあるが、これからも何度も訪れることだろうな。
というわけで、總持寺よ今年もありがとう!






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