【長野県茅野市】諏訪五ヶ寺参拝 諏訪藩初代の菩提弔う頼岳寺 22.09.24_10:30
高島藩の領にある真言宗、臨済宗、曹洞宗、浄土宗、日蓮宗の仏教各宗派筆頭寺院を諏訪五ヶ寺と呼ぶらしい。
伊那出張の前乗りを諏訪泊まりとして、今日はそんな五ヶ寺をめぐろうと思う。
まずは茅野市の曹洞宗、小林山頼岳寺に参拝。
徳川家康の関東への国替えに従ってた諏訪大社の大祝諏訪頼水が関ヶ原の戦いの後、2万7千石で諏訪の地に戻り高島藩を起こすが、その諏訪頼水が旧領上野から大通関徹和尚を招いて創建した寺がやがて菩提寺となった頼岳寺。
茅野市の蓼科へと続く山麓の取り付き口にある。
並んだ杉並木が古刹を実感させられる。
R20(甲州街道)から少し入った関係ですっかり人里離れた的な雰囲気だ。
なんてわかったようなことを言っているけれど、今回諏訪に来ようと思うまで五ヶ寺なんて存在自体知らなかったから偉そうな話だけれど(笑)
参道を進んで急な石段を登った先、山門をくぐると境内であり大きな本堂がどんと構える。
なるほど、無骨な感じがいかにも曹洞宗・・・は個人的は感想。
そんな巨大な本堂の裏の斜面が墓地。
本堂らのすぐのところは粗野な感じの昔ながらの墓地で、その向こうに整地された今風な墓地が広がる。
檀家の多さはさすが。
地方の曹洞宗の強さを改めて思い知らされる。
そんな粗野な昔ながらの墓地の中に諏訪頼水の墓がある。
小さいながらも覆堂に囲まれた姿はさすが諏訪高島藩初代藩主殿。
でも、諏訪氏が頼岳寺を菩提寺にしたのは初代藩主のみ。
二代目からはやはり五ヶ寺の一つである温泉寺に移っている。
押し変ならぬ宗派変。
そこまでした理由は何だったんだろう?
変更させられた側はどう思ったか。笑い事じゃなかっただろうに。
政治的な難しいことは分からないけれど、今は諏訪の世俗と隔離された高台で、涼しい風が吹いているだけだ。