【茨城県水戸市】水戸梅散歩 弘道館と大手門散策 24.03.02_11:30
偕楽園から車を回して藩校の弘道館と最近新しくk建てた水戸城大手門を見物に。
水戸藩も江戸時代中の沈黙を破るように幕末に斉昭という殿様がいいたい放題でしゃばり放題をし、徳川慶喜まで排出し、日の目を浴びつつあったというのに、天狗党が藩をめちゃくちゃにして、結果明治維新を待たずに終了してしまった印象。
行き過ぎた儒教の教育、尊王攘夷思想が暴発してしまい、将来ある若者の決起を水戸藩自らが粛清しないといけなくなる大失態。
それも、これも教育が悪かったと言ってしまうと弘道館という施設の立場がないけど。
天狗党の問題は斉昭の藩主就任問題から端を発している。
水戸藩八代藩主徳川斉脩の後継問題で異母弟の斉昭と幕府が押す清水家の徳川斉彊の争いがあり、結果、斉昭が藩主となる。斉彊は最終的に紀州藩主になるので、どちらもやれやれなのだが、このとき、斉昭を押した連中に対する当然ながら贔屓が始まる。
今、教育熱心な水戸藩なんていう印象がついているけれど、藩校弘道館が建てられたのは斉昭のとき。つまり、幕末も押し迫った頃。
弘道館の教頭になったのが会沢正志斎であり、藩の御用人になる藤田東湖らは斉昭派。
尊王攘夷の水戸学を強く押し出したため、それがやがて天狗党となり幕末に暴発した。
まぁ、御三家という特別な立場であるはずなのに、尊王攘夷思想。自分たちの立場が何で支えられているかなんてどうでもよかったのだろうか?かっこいいことを言うことが目的であり後先考えてはいなかったのだろうか?
極端な思想は極端な結果を招く。
天狗党の乱で多数の若者を失った水戸藩は、結果、幕末維新時にはほとんど役立たず。
明治になっても泣かず飛ばず。尊王の思想だけは引き継がれたのかも知れないけれど。
教育とはなんのために・・・
今、弘道館は近世日本の教育遺産として日本遺産に認定されている。
テロリストを育む教育・・・いいのだろうか?そういうことで。
結局、成功すれば革命者だし、失敗すればテロリストなんだけど。
弘道館の眼の前には新しくできた大手門が。
水戸城って深い空堀くらいしか印象がなかったから、ここに復元されるのはいいことだと思うけど、ここが大手門ってことは、弘道館はお城の外にあったのか?
なんか複雑。
とりあえず、封建時代って生きにくそう・・・
今日の移動
動く地図 (基本はPCで、スマホの場合は横向きで・・・地図下の[トラック再生]ボタン押下で動き出します)