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池上本門寺参拝 庭園松涛園 公開中 19.09.06 14:17

本門寺の奥には庭園松涛園があり、年に一度この週末に公開されるということで見物に来ています。
つまり、酷暑の中の池上本門寺参拝の主な理由が庭園松涛園の見物なのです。

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松涛園の作庭者は、小堀遠州。大きな池に洲浜、織部井戸、船付場、鶴島、亀島、魚見岩、太鼓橋などがあり、滝口に渓流と渓谷、沢渡り、滝見橋、松濤の滝などなど見どころ満載。

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作庭された時代は本門寺の大復興期で加藤清正親子、徳川家康側室養珠院、徳川秀忠公乳母正心院、紀州徳川家、加賀前田家、等の外護・帰依を得て大伽藍が再建されたそう。

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権力にすり寄って腐敗した他宗派を批判して鎌倉であっちに喧嘩を売って、こっちに喧嘩を売っていた日蓮の精神はすっかり無くなってしまっている。権威者にすり寄ってちょっとお金が入ると壮大な伽藍やら庭園やら、そういう物をつくりたくなってしまうものなのだろうか?

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寺院に庭園が必要なのか?坊主腐敗し過ぎでないのか?念仏唱えて祈っていれば良いものを。この金があればどれだけ民を救済できたか。
庭なんて言ったって、寺の奥に隠して、民衆の目には触れることすら無かっただろう。

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慶応四年(1868)四月に西郷隆盛と勝海舟はこの庭のあずまやで江戸城明け渡しに関する会見をしたと伝えられている。弟の西郷従道の会談を記念しての石碑が残るし、本門寺は当時新政府軍の本陣がおかれた所であったので間違いはあるまい。

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勝もその帰り道に気に入った洗足池のほとりに居を構えたほどだし。

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そういう会談が行われ、結果江戸の民が戦火に塗れることがなかったことは庭園の成果なのかもしれない。
勝と西郷の努力により江戸は明治維新に戦火を免れてたが、太平洋戦争の戦火は免れなかったから、結果的にどれほどの効果があったかは微妙なことになってしまったが。




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