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自粛六尺 コロナ禍の中、どれだけ牛丼に助けられたことか

自粛六尺。このマガジンの最初に牛丼屋について触れた。
緊急事態宣言というものが出されて、不要不急の外出がはばかられるようになり、気分転換と抵抗力をつけるためとか言いながら、散歩とスーパーへの買い物は許される風潮だった。サーフィンはダメだけれどもランニングは良いという、多少の見解の相違は合ったけれども。
流石に、ずっと家にこもっているわけにも行かない。自炊もしない横着者なので、散歩のついでに朝食を食べることにした。驚きの効率主義者だ。大体、太っている人間というものは痩せている人間に対して相対的に効率は良い。消費エネルギーが低燃費なので余剰が多い分が保存に回っている・・・そういうものだ。

最初のうちは物珍しいさとコスト的なものもあり、朝定食を好んで食べていた。
目玉焼きだったりTKGだったりに、牛の小鉢がついていたりと、近所の牛丼三社は朝の定食に並々ならぬ力を入れていて、それはそれで楽しませてもらってはいたのだけれども、そこは牛丼屋。餅は餅屋で牛丼屋では牛丼を食べてこそ牛丼屋じゃん。ということに気付いたので、朝定食から時々牛丼というローテーションが出来上がった。エースに裏エース、プロ野球なら鉄壁の投手王国だ。


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牛丼はやっぱりうまいですわ。
コスト的には朝定食よりも若干上がる気がするけれども、それはそれ、これはこれ。
満腹感というか、満足感が違うんだよなぁ。

女性は牛丼って言うと、まだまだちょっと躊躇するかも知れないけれども、この丼飯をかっこんで食べる幸せ感は特別なんだよなぁ。


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自分が物心つくまで育った茅ヶ崎という街は、今住むヨコハマに比べてかなり田舎で、特にガキの頃に夜もやっている店は飲み屋くらいしか無く、そんな中に24時間営業の吉野家が国道沿いに出来たときには狂喜乱舞した記憶がある。コンビニだって田舎じゃ24時間営業じゃなかった時代。中ボーの頃の思い出だ。
当然当時、夜の牛丼屋なんて(いや、昼間だってだが)不良かガテンオヤジかトラックドライバーしかお客が居なくて、それでも国道沿いだからそこそこ混雑していたことを思い出す。こんな商売も有りなのかと純粋な驚きをもった。


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ガキの頃に覚えた味はオヤジになっても忘れない。口は正直。金に困らないようになっても、安いものを選んでしまう。
子供の頃の食の教育って大事だよな。と、あらためて思う、牛丼オヤジの説得力。
今回のコロナ禍をコロナ化せずに乗り切れたのは、牛丼屋のおかげと言っても過言ではない。平時になっても足を向けて寝られない。


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