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【山梨県身延町】久遠寺のしだれ桜散歩 日蓮の祖廟と御廟に参る 24.03.30_11:00

 久遠寺の境内から少し下がったところ、山門から少し奥に入ったところに祖廟と御廟がある。

 日蓮が身延山に草庵を建てたところと彼の墓。

 「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という日蓮の遺言により初めて庵を結んだ場所の奥に墓が建てられた。


 1277年、日蓮は身延で体調を崩す。
 やがて、文筆もままならなくなり、一時的に回復しても、病の進行が留まることはなかったそうだ。

 寒冷地の身延での療養はムリと判断した弟子たちは、常陸の国への温泉治療を提案する。
 マジか・・・
 今ではない。電車も車もない鎌倉時代の話だ。生活もままならない人間を身延から常陸まで歩かそうっていうのは、正直いじめだろう。

 結果、武蔵の国池上で衰弱が進み、1282年に入滅する。
 それが今の池上本門寺。
 そして、遺言により身延に改葬された。


 あちらの宗派に喧嘩売り、こちらの宗派に喧嘩売り、あちらから弾圧され、こちらから弾圧された日蓮の人生。

 自らをかえりみない、手を抜かない精神は、宗教家としては尊敬できるけれど、もう少しうまくやることを覚えれば(笑)
 今頃オヤジがどうこう言うことではないけれど。

 御廟とその周りも、身延は今の時期桜の園だ。

 日蓮はどれだけしだれ桜が好きだったのだろう?

 こんな山奥の、こんな谷間に、どこにも負けないようなしだれ桜が咲く。

 それはそれで霊的ですらある。

 日蓮が身延で結んだ草案の敷地が思った以上に広くて驚く。

 冬の寒さの除けば、結構いい暮らしだったのかもしれない。

 多分、ネットもテレビも無かっただろうけど。

 




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