人は人、自分は自分
わたしは1人でいることイコール孤独と思ったことはない。
たとえ大勢の人に囲まれていても、それが何の関係性も築いてない大勢だとしたら、そこにこそ孤独が存在する。
ずっと1人だとさみしいでしょう?
離婚歴のあるわたしにこんなことを言ってくる人もたまーにいます。
悪気なく言ってるのは承知してるけど、大人ならむしろ悪気があってくれとすら思う。
無邪気にさみしいと決めつけられると、どんなに言葉を尽くしても理解してもらえないだろうと諦める。
否定しても強がってる、そんなわけないと決めつけてくる人が目の前にいると、この人はなんと幸せに今まで生きてきたのだろうと軽蔑の目を向けてしまいそうになる。
性別、人種、世代なんかにかかわらず、お互い尊重し合える人とのつながりさえ断たれなければ、物理的距離なんてどうでもよいと思って生きてます。
なんにも難しいことはない。
自分が1人でいることに耐えられないからといって、ほかの人もそうであるとは限らない。
大勢の人がいる場所に出向くのは苦手という人いれば、大勢と過ごすことが何よりも楽しいと思う人もいる。
つまり、自分と考えの違う人が存在してることを認識して、自分と違うものへの寛容さがほんの少しあればいいだけの話ではないか。
否定して対立する必要もない。
こんな人もいるし、あんな人もいる。
それが人間社会の前提であるはず。
多様性を声高に言葉でこねくりまわさんでも、感覚で分かるやろ。
ただ、相手に悪意があるときは例外。
悪意ある人に寛容になれるほど人間できてないけど、なるべく同じ土俵に立ちたくないから沈黙する。
あるいは公共性みたいなものを考えた上で行動できない人も論外。
わたしはわたし、そう思って生きてる。
そう思ってるからこそ、他者を尊重して生きていけるんちゃうかな。
目下のところ、円安で絶望しかない日々や。
寂しいとかいうてる場合でもなく、こちとら20人の子どもと10人のスタッフ、教師たちの生活のこと考えていかなあかんねん。
そやからいらんこと思わんと必要なことにだけ向き合いたいのに、人間だもの、いらんこと言われたらちょっとね、心がザワっとなるんですよ。
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