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「蟹工船」を読んだ

蟹工船を読んだ。よしもとばななや現代人のエッセイを好んで読む人間にとっては、普段全く読むことのないジャンルで、非常に扱いにくい小説だった。それでも読み進めることができたのは、「蟹工船を読了した自分」を会得したかったからという不純な動機だ。

「おい、地獄さ行ぐんだで!」
という書き出しで始まるこの話は、読み手をこの一言で文字通り地獄に連れて行く。

船の上という閉鎖的環境、オホーツク海という極寒で、蟹の缶詰を作る労働を強いられ、人を人とも思わない劣悪環境で搾取されゆく乗員。上司たちは権力を振りかざし理不尽に仕事を科して行く。糞壺と呼ばれる場所でひしめき合いながら就寝をし、脚気で足が動かなくなり、命を落とすも遺体は海に投げて埋葬。風呂は月に2回でストーブにふんどしを干せばシラミが飛び出す。これがフィクションであって欲しい、嘘であって欲しいと思いながらもきっと現実にあった地獄、これが地獄…と終始顔をしかめながら読んでいた。

小説の世界だけは穏やかな幸せが欲しい小説陽キャ星人にとって、蟹工船のような陰鬱な話は積極的に読みたくはないと正直思っている。扱いにくい…と苦戦しながらも、面白さを見つけて読み進めることができた。その理由には先ほど述べた不純な動機もあるが、なんといっても魅力的な比喩がざっくざく盛り込まれているところにあった。

手始めに「おい、地獄さ行ぐんだで!」の書き出し以降の最初の2ページから比喩を拾ってみよう。

「蝸牛が背のびをしたように」「海を抱え込んでいる函館の街」「巻煙草はおどけたように」「片袖をグイと引張られてでもいるように」「大きな鈴のようなヴイ」「南京虫のように」「何か特別な織物のような波」「牛の鼻穴のようなところ」「機械人形のように」「将軍のような格好」「巣から顔だけピョコピョコ出す鳥のように」

新潮文庫版「蟹工船/党生活者」2ページ27行中、比喩は11個だった(見逃してたらすみません)。この直喩暗喩のざっくざく加減は面白い。この比喩があるからこそ、現にこの場に居なくても読み手の想像力をありありと掻き立てられるのだろう。そしてもし「南京虫のような」の南京虫がなんだか分からなくても、文章の流れから気持ち悪い虫なんだろうなと想像がつく(のちに南京虫は話にちゃんと出てくる。そして気持ち悪い)。

話中ひたすらに搾取をされにされまくり、読み手の精神衛生をゴリッゴリに蝕んで行くのだが、終わりに近づくと、ある瞬間に搾取されまくった分が、糧となり、ストライキを起こす躍動的なエネルギーに変わっていくのだ。この辺の乗員たちの団結力の強くなり方はとても魅力的だった。力=パワーである。

この劣悪な環境の中でも立ち向かうには、環境へのある程度の慣れと慣れから作り出せる余裕、体力、運、そして仲間。

争いはいけない、平和であれ。もちろん正論なんだけれども、この偏りまくった世界の中で自由を手にするにはきちんと抗議をすること、拒否の意思表示をすること。支配者に訴えかけることなんだ。と読了後は静かな闘志が湧いた。

そして過去にそれらをやり続けた人たちがいるからこその今があるんだとも思えた。わたしたちは、自分の理想のために何を信じてどのような形で表明すべきなのだろう。どんな未来を望むのだろう。後世にどう残していくべきなのだろうか。


蟹工船は、地獄はまだ、この世に存在しているのだ。きっと。






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