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退屈という不幸~「暇と退屈の倫理学」を読んだ
國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を読んで思ったことを、脳内関西人・林氏(仮名)と富田氏(仮名)による会話でお届けします。
暇と退屈の倫理学 (新潮文庫) | 國分 功一郎 |本 | 通販 | Amazon
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林: 暇やなぁ。
富田:ほんま退屈やなぁ。なんかオモロイこと無いかなぁ。
林: おれは「暇や」とは言うたけど、「退屈や」とはひと言も言うてへんぞ。
富田:また面倒くさいこと言い出したなぁ。暇も退屈も一緒やないか。
林: ちゃうねん、これが。最近、「暇と退屈の倫理学」っていう本を読んでんけどな。それによると、「暇ちゃうけど退屈」とか、「暇やけど退屈はしてへん」とかっていうパターンもあるらしい。
富田:暇やけど退屈してへん。。。ピンとけぇへんけど、なんかオモロそうやから続けてええで。
林: 別にお前の許しがなくても続けるけど。結論から言うと、「暇」はやらなあかんことが無い時間のことで、その時間についてどう感じてるかとは関係ないねん。かたや、「退屈」は気分やねん。要するに、暇は客観的、退屈は主観的や。
富田:せやったら、おれは今、モーレツに暇かつ退屈や。
林: 自慢か?
富田:頭おかしなったんか?なんで自慢やねん。
林: 昔の貴族とかは、召使いが全部やってくれたから、基本暇やってん。言わば「暇」っちゅうんは特権階級の証や。「有閑マダム」とか言うやろ。
富田:死語ちゃう?「有閑マダム」には憧れるけど。
林: 一般庶民は、目一杯働かされてたから、暇なんか無かった。それが、経済が発展して、庶民にも暇ができた。ええことのように思えるけど、その暇を何して過ごしたらええか分からんで、みんな退屈してしもてん。
富田:することなかったら、屁ぇでもこいて寝とったらええのに。
林: それがやな、人間にとって退屈って相当辛いことやねん。「人間は考える葦である」のパスカルは、「人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのため自分でわざわざ不幸を招いている」って言うてんねんて。
富田:パスカルの頃はネットも無かったやろうしな。おれもコロナで2週間近くホテルで隔離されたけど、ネットがあっても辛かったわ。
林: な?退屈辛いやろ?その辛さから逃げるために、人間は何か熱中できることを気晴らしに求めんねん。考えて見たら、おれが英検の勉強したんも、退屈から逃げたかったっていうのが大きい。
富田:在宅で暇やった、って言うてたもんな。
林: 勉強はしんどかったけど、それが良かったんかも知らん。ほんまに熱中して退屈から逃れよう思ったら、しんどさとかスリルとか、何かしらマイナス要素が必要やねん。
富田:馬券買わな、競馬もおもろないもんな。
林: せや。言い換えたら、熱中するためには、広い意味での苦しみが必要、いうこっちゃ。
富田:「推し活」とかもそうなんかもな。推しを応援したい、いう気持ちの奥底では、知らん間に苦しみを求めてんのかも。食費削ってまでグッズ買うとか。
林: そうそう。人間は退屈に耐えられへんから、気晴らし=苦しみを求めてしまうねん。取り立てて不自由のない生活は、満たされてるけど満たされない、ぼんやりとした不幸がある。おまけに、その理由がよくわからんというのが性質の悪いところや。理由が分からんから、逃れようにも逃れられへん。
富田:不自由がないから言うて、敢えて不自由な生活をしたいとも思わんしなぁ。
林: 人間が退屈するようになったんは、定住するようになってかららしい。狩猟してた頃は、食糧とか求めて移動しまくって、常に新しい環境にほりこまれてた。ほんで、新しい環境で、食糧とか水とか寝る場所探したり、危険を避けるために、人間は探索能力がものすごい発達してん。けど、定住生活になって、その能力がオーバースペックになってしもた。
富田:えらい時代を遡ったな。さっき言うてた貴族とかの頃の騒ぎやないな。
林: せやけど、人類400万年の歴史の中で、定住生活始めたんは1万年前らしいから、ついこの前や。
富田:尺度がもうよう分からんわ。視点がもう神やな。
林: とにかく、退屈いうんは、その狩猟時代向けのハイパーな人間の探索能力が、宝の持ち腐れになってしもてるのが原因や、ていうこっちゃ。
富田:ということは、しょっちゅう引越ししとったらええんかな。
林: カネ掛かるでー。おまけに、荷造りやら手続きやらで、それこそ「退屈する暇もない」状態や。暇やけど退屈してない、ちゅう状態が理想やなぁ。
富田:その本には、どうしたらええ、って書いてんのか?
林: どうせ暇やねんから、そう答えを急ぐな。定住生活にはオーバースペックな人間の脳みそが退屈の原因や言うたやん?ほな、動物は退屈する思う?
富田:ひなたぼっこしてる猫とか見てたら、暇そうではあるな。。。でも、退屈というか、少なくとも辛そうには見えへん。
林: 動物はな、シグナルへの反応で生きてるらしい。
富田:シグナル?
林: この本ではマダニの例が説明されてんねんけど、マダニって木の上でじっと哺乳類が来るの待って、来たら木から飛び移って、血吸うらしい。
富田:マダニに咬まれたら死ぬこともあるらしいで。
林: せや。そのマダニやねんけど、さっき言うた木の上で哺乳類を待って云々いうんは、人間がマダニの生態を観察した場合の話であって、マダニ的には、①哺乳類から出てる「酪酸」っていう匂い嗅ぐ→②木から落ちる→③37度ぐらいの温度感じる→④吸う、ていうプログラムで動いてるだけらしい。せやから、哺乳類おらんでも酪酸嗅がせたら高いとこから落ちるし、落ちたとこが37度やったら水でも吸おうとするんやて。
富田:なんか狂気を感じるな。
林: マダニは一例で、生物はみんなそれぞれ、こういうそれぞれの世界の中で生きとる。「環世界」って言うらしいけど。ほんで、その環世界の中で、シグナルに従って行動するような状態では退屈は無いやろうと言われてる。
富田:人間には、その環世界が無いっていうことか。
林: 人間も、人間としての環世界に生きてる。もっと言えば、ひとりひとり、それぞれの環世界を持ってる。けど、人間は他の動物と比べて、環世界を移動するのが得意らしい。
富田:役者さんなんかは、ある意味、監督の合図で一瞬で役柄に成りきる訳やからな。そう考えると、イルカショーのイルカなんかは、環世界を移動してんのかな。猿回しの猿とかも。幽霊はあの世とこの世を行き来してるし。
林: そう言えるんかもしらんな。人間は環世界を移動するのが得意って言うたけど、裏を返せば、ひとつの「環世界」にひたってるのが苦手とも言える。
富田:ものは言いようやな。
林: ひとつの環世界にひたってられたら、動物みたいに退屈はせえへんで。
富田:退屈はせえへんかもしらんけど、大事なもん失ってないか?
林: 人間はほっといたら色んな環世界をほっつき回ってまうけど、何かについて考えなあかんようになったら、ひとつの環世界に止まってしまうんやて。考えるのはしんどいから、考えんで済む方に流れがちやけど、たまには無理にでも思考を強制してくるようなもんを受け取りに行ったらええねん。
富田:たとえば?
林: それは個人個人の探索能力、いわばアンテナが向いてる方によるから自分で見つけるしかないけど、何が思考を強制してくれるかっていうことを意識してみるこっちゃな。
富田:わかったようなわからんような。。。
林: こんな人生の大問題に、ズバリの答えがあるわけ無いやろ。でも、ちゃんと自分で考えな、資本主義が牙向いてくるで。「頑張った自分へのご褒美に」とか綺麗ごと言うて、そのためにあれ買えこれ買え、ってそそのかしてきよる。元々要らんもんとかサービスを買わせようとしとるから、キリがない。気晴らしすればするほど退屈が増すという悪循環や。
富田: そういえば、ちきりんさんも「反応」するだけやなくて、「意見」を持てって言うてはったな。
林: せや、よう覚えてるやん。考えて意見を持つのはめんどくさいけど、どうせ退屈するんやったら、ちゃんと頭使ったらええねん。
富田:「いいね!」
林: それが、ちゃんと考えてへん「反応」の典型例や言うたやん。
<おしまい>
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