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「自分の意見で生きていこう」(ちきりん)を読んだ

ちきりんさんの「自分の意見で生きていこう」を読んで思ったことを、関西人・林氏(仮名)と富田氏(仮名)による脳内会話でお届けします。

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林: 「自分の意見で生きていこう」っていう本、読んでんけどな、この本によると「意見」と「反応」は別もんらしい。

富田:「意見」は考えやろ?「反応」は、、、何やろ?リアクション?「いいね!」押すとか。

林: 自分のポジション、賛成か反対かがはっきりしてるのが意見やねんて。

富田:ほな、「いいね!」は賛成やから意見か?いかにも反応っぽいけど。

林: 「いいね!」は典型的な反応やな。この本でもそう分類されてる。

富田:違いがよう分からんようになってきた。

林: 賛成か反対かのスタンスだけやのうて、何で賛成なんか、その理由がセットで初めて「意見」になるんやて。

富田:ほな、たとえば、美味しそうな料理の写真に「いいね!」押すだけやのうて、「この写真の価値を拙者は評価す。なぜならば、げにその料理を食したらぬ拙者にも、その味やにほひ、店内のけはひまでをも想起さするばかりの消息がこの一枚に凝縮されたればなり」みたいに言わなあかんのか。

林: なんでサムライ風やねん。伴虚無増か。まぁでも、そういう風に「意見」と「反応」を区別して考えたら、SNSは「反応」で溢れてる訳や。自分の意見を表明するって、結構頭使うやん?

富田:さっきの喩え考えただけでも疲れたわ。

林: せやろ。考えるエネルギーを使わんでも、誰でも簡単に発信できるようにしたんがSNSや。せやから、SNSのコメントは、ごく少数の「意見」と、大多数の「反応」に別れるらしい。タチが悪いんが、「反応」だけしてる人自身も、「意見」してると勘違いしてたりすることやって。

富田:おれもそこの違いは意識してなかったわ。

林: 更にタチ悪いんが、ネガティブな反応する人は頭良さそうに見える、いうことや。「それは一概には言えませんねぇ」とか。

富田:感じ悪い奴が、腕組んで言うてそうなセリフやな。

林: 「意見を言う人」は「ゼロからイチをクリエイトしてる人」で、「反応する人」は、「他人が創り出したコンテンツや意見に反応だけしてる人」とも言うてはる。

富田:なるほどな。意見を発信するのはなかなか大変そうやな。叩かれそうやし。炎上とかいややん。

林: それはあるよな。意見は反論されるけど、反応は反論されにくい。せやけど、反応してるだけでは流されて何も決められへんで。

富田:確かに、物事決めよう思ったらどっかでリスク取らなあかんよな。

林: 「日本で2番目に高い山は?」みたいな正解がある問題やったら調べたらええけど、大事な問題って大抵正解はないやん。「転職すべきかどうか」とかみたいな個人の選択から「ワクチンを義務化すべきか」みたいな社会問題まで。そういう正解のない問いについて考えるのに疲れたり、リスクを取るのが怖かったりで、つい胡散臭い占い師に頼ったりしてまうんかな。

富田:正解はなくても、正解らしきものを言ってもらったら気ぃラクやもんな。

林: 意見の前提となる知識には、正しい・正しくないはあるけど、正しい知識に立った上での意見には、正解・不正解はないねん。せやけど、つい他人の意見に乗っかって、それが自分の意見やと思ってしまいがちや。

富田:「ええ映画やったなぁ」思ってレビューがイマイチやったら、やっぱりイマイチやったかなぁって思ってまう時あるな。

林: なんでええ映画や思ったか、ちゃんと考えて「意見」にまで昇華させたらブレへんはずや。なんでも正解があると刷り込まれがちやからな、この日本社会では。正解なんか無いはずやのに、答え合わせしとなる。

富田:ユニークで居たいけど、みんなと一緒が安心する、みたいな。

林: みんなと一緒やないと不安になるのは、考え抜いてないせいや。何事も「自分は絶対こう思う」とまで突き詰めて考えて決断できたら、周りが何と言おうが、幸せな人生やろな。もちろん、正解は無いわけやから「絶対」いうんは、「絶対正しい」っちゅう意味やなく、「絶対ブレない」という意味やで。

富田:そこまで考え抜いたら、後悔も無いやろな。まずは喫緊の問題である今日の昼メシについて、何を食べるべきかとことん考え抜くわ。

林: お前、弁当持って来てるやん。

<おしまい>


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