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日々はんせい堂で働きたい

 今年の三月、フックブックローの放映終了に、私もショックを受けた。

 終了の予感はあった。年度が替わる度に、放映日が減っていって、放映時間も短くなって、とうとう昨年度は、週に一回、土曜の早朝にしか放映されなくなってしまったから。

 それでも、実際に放映終了のお知らせを聞いた時は、本当にがっくりした。もう、けっさく君にも、しおりちゃんにも、リリックにも、もくじいにも、五四九ブラザーズにも会えないのか……!

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 勿論「フックブックロー」というのは、NHK(Eテレ)で、この春まで、七年間放映されていた、あの番組の事だ。

 今はまだ、この番組を知らない人は少ないと思う。けれど、未来の誰かが、何かの拍子にこの文章を見ないとも限らないから、一応解説しておく。

 子供向けのパペットバラエティ、というジャンルの人気番組だ。大人にもファンが多かった。ファンの年齢層は、ゼロ歳から九十代までという話だ。

 何がそんなに良かったのか。

 脚本も、演出も、美術も、人形のデザインも造形も操演も、声優さんも俳優さんも、劇中歌の歌声そのものも、選曲も、オリジナル曲の作詞も作曲も、イラストも、アニメーションも……とにかく何もかも!

 登場人物は、六人(正確には五人と一匹)。演じるのは、五人(正確には四人と一匹)の人形と、ひとりの人間。

 舞台は、日々はんせい堂、という名の本屋さん。六人(もう六人でいいよね)は、店主と、店員と、常連客だ(まあ、ひとりは飼い猫だけど、店員と言ってもいいよね、店番するし)。

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 先に述べたように、個々の要素は、何もかもが素晴らしい。ただ、それがすべて合わさった時の、物語の世界観の素晴しさは、個々のレベルを、更に超える。

 そこは勿論、架空の世界なのだけど、あのお店は、確かに、在るのだ。あの六人は、確かに、居るのだ。番組を一度でも観た事がある人なら、この感覚、納得してもらえるんじゃないかなあ……。

 悲しい理由ではあるけれど、番組開始が震災直後だったのも、長く続いた理由のひとつではあると思う。

 この国に暮らしていて、震災に何ひとつ影響を受けなかった、という人は、誰ひとり居ないだろう。被害の大きさに関わらず、または、直接の被害が無くたって、胸が苦しくなる瞬間を、持たなかった人も居ないだろう。

 震災の影響で、開始直後は、番組を見る事が叶わなかった人も多いと思う。家に子供の居ない私も、番組の存在を知ったのは、かなり遅かった。

 でも、この七年間、この番組の優しい空気に、多くの人が救われたのではないだろうか。

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 日々はんせい堂は、古書店だ。

 昔ながらの本屋さんだ。と言っても、さすがに今の時代のお店だから、多くの古書店がそうであるように、ネット通販だって行っている。だけど全体的に空気がのんびりしている。

 店主が、そもそものんびりしている。経営が成り立っているのが不思議なくらいだ。色んな意味で子供みたい。仕事しているのか、遊んでいるのか分からない。

 店主の孫は、しっかりしている。彼女がいるから、何とか店が続いている。それでものんびりした空気を、やはりどこかに纏っている。時々喧嘩をするけれど、祖父の事が大好きだし、大切にしている。

 バイト君は、体の芯から夢見る夢夫くんだ。猫と話が出来るくらいに。だけどその夢をまっすぐ信じ、真面目に追いかけている。才能もある。いつかきっと夢を叶えるだろう。

 猫は大人だ。登場人物の誰よりも。人間たちの事を、やれやれ、仕方ないね、と、見守っている。世界の道理を沢山知っているのに、縄張りの外に出た事が無い。見た事の無い、海に憧れている。

 常連客もマイペースだ。お金持ちの御曹司で、大学を五浪中の双子。受験生の筈なのに、ふたりで店主の孫のファンクラブを結成して、しょっちゅう店に顔を出す。

 のんびりした店に集う、のんびりした人たちは、季節の訪れに敏感だ。折々の行事を楽しみ、歌を歌う。時には猫に店番を頼んで、どこかへ出かけたりもする。いいなあ、ここで働いてみたいぞ。

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 テレビのこちら側の世界にも、今はまだ、本屋さんがある。多分、あり続ける事は、相当大変な状況になっているけれど、それでも、頑張ってあり続けてくれている。

 いつまであり続けてくれるだろう。お気に入りの本屋さんで、文房具のコーナーが増えたりすると、慌ててしまう。つい、何か一冊買ってしまう。

 本屋さんが淘汰されていくのは、時代の流れでやむを得ない、の、かもしれない。

 私は「かもしれない」と、言ってしまう。断言なんてしたくない。けれど、「いや、紙の本を扱う、町の書店なんて、早晩、どこにも無くなりますよ」と断言する人は、周囲にも居る。

 時代が加速しているのは、私だって知っている。

 二十年以上、仕事をして来ている。この二十年の変化は大きかった。仕事を始めた頃に、今の私の年齢くらいだった人達が、IT化についていけなくなって、職場で存在感を失っていくのを、目の当たりにした。

 そしてこれからの二十年は、変化のスピードが、もっと加速するだろうという予感がする。紙の本が無くなるのも、それを扱う本屋さんが無くなるのも、黙って見ているしかない、の、かもしれない。

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 かもしれない、と言葉にするだけで、何だか悲しい。そして不安になる。

 紙の本が大好きだ。本屋さんが大好きだ。文字の中に隠された物語の中に、旅をするのが大好きだ。新しい本の匂いも、図書館や古書店の古い本の匂いも、手触り、重み、装丁、ページを繰る指先の感覚、すべて。

 小さい頃から、紙の本は味方で友達だった。悲しい時に寄り添ってくれた。辛い時に助けてくれた。

 かもしれない、と、口にする時の悲しい気持ち。それはそのまま、加速する時代への不安に繋がっていく。

 のんびりした時間が大好きだ。季節の訪れに敏感でいたい。鼻歌を歌ったり、ふらっと散歩に出かけたり、そんな時間をたくさん持ちたい。

 時代の速度が上がったら、そんな時間を持つのは難しくなるだろうか。

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 でも。

 フックブックローを観ていると、幸せになる。

 そこには、紙の本を扱うのんびりしたお店が、確かに、在る。そこに集うのんびりした人たちが、確かに、居る。

 そして、確かに在る、だけじゃない。確かに居る、だけじゃない。

 青葉が輝く事、雨が紫陽花を濡らす事、入道雲が頭上に広がる事、そして色んな果実が実り、紅葉が風に舞い、粉雪が降り積もり、やがて、花が咲く事、その折々を噛みしめる事の、楽しさと美しさ。

 それらを、時代の速度が上がり続けている今だって、いや、これからだって、手放さずにいたいと思えば、手放さずにいられる事を、彼らが示してくれているように思うのだ。

 あのお店と、あのお店に集う人たちが、ゼロ歳から九十代までの、沢山の人に愛されているのは、それらを手放さずにいたい人が、今なお、この国に沢山居るからだと、信じたい。

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 これからだって、きっと色んな楽しい事が、待っているに違いない。だから、時代の速度が上がる事を、嘆いてばかりはいられない。不安がってばかりはいられない。

 速度が上がる事によって、新しくもたらされるものの中には、きっと素晴らしいものだってあるはずだ。

 私は今、noteにこの文章を書き留めている。インターネットとパソコンとスマートフォンを使って。

 時代の変化によって生まれた、便利な道具を使って、時代の変化によって生まれた、素敵な場所に。

 時代が変わっても、変わらずに手放さないでいたいと願うものについて、今、書き留めたいと思っている。

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 どんなに時代の速度が上がっても、やっぱり私は、自分の速度で歩きたい。季節の訪れに深呼吸をしながら。その時にも私の手元には、紙の本があって欲しい。

 いや、青空の下を、誰もが自分の速度で歩いて行ける、そんな時代を作っていきたい。それぞれの手元にあるのが、紙の本であっても、デジタルな読みものであっても、今はまだ存在しない、素敵な何かであったとしても。

 その為に出来る事がどんなに小さくても、自分の出来る事をしたい。

 日々はんせい堂のバイト君、夢見る夢夫のけっさく君が、大好きだ。まっすぐ信じ、真面目に追いかければ、夢は叶う。私だって、人生の折り返し地点を過ぎたって、夢見る夢子で居たいのだ。

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