淡い憧れだけで
中古の小さな鍵盤は、四千円もしなかった。
ハノンの楽譜は千円ちょっと。表紙には「大人からはじめる」と書かれている。
恐る恐る、注文ボタンを押した。子どもの頃を思い出しながら。
確か、小学校四年生だったと思う。
ピアノの教室に、半年だけ通っていた。いや、半年も持たなかったかもしれない。
教室の事は、断片的な記憶しか残っていない。叩かれた手の甲が痛かった事ばかりを、強烈に覚えている。
子どもの私は、教室に通いさえすれば、ピアノが弾ける様になると思っていた。
なのに、何度教わっても、間違えずに弾くことは出来なかった。何度言われても、正しい手の形も、正しい姿勢も身につかなかった。
教室に通う度に、先生の顔は、険しくなっていった。劣等生の私を、何とかしようと必死だったのだろう。昭和の時代の事だ。スパルタと呼ばれる教育方法が、一般的に良しとされていた。
レッスンの日は憂鬱だった。怒られるのが辛くて、出来ない自分が哀しかった。毎回、辞めたいと思いながら、教室に向かった。
でも、通いたいと言い出したのは、私だ。
古い家にピアノを置いたら床が抜けると、祖母には猛反対された。母は懸命に祖母を説得して、どうにかオルガンを手に入れてくれた。
ピアノの練習にオルガンを用意するなんて、音楽に詳しい人は笑うかもしれない。だけど、私は母の心遣いが嬉しかった。当時の我が家の経済状況を考えると、オルガンの購入は、とても大変だったに違いない。
自分から辞めたいとは、言い出せなかった。
あれは、教室に通い始めて、どれくらい経った日の事だったのだろう。
教室に着く手前で、ハンカチを忘れた事に気がついた。レッスンの開始時間は、数分後に迫っていた。
私は、来た道をゆっくりと引き返した。自分に言い訳をしながら。
だって、ハンカチ忘れたら、先生にすごく怒られるもんね。取りに戻らなくちゃ、駄目だよね。
教室から遠ざかる開放感で、足取りが弾みそうになるのを押さえて、出来るだけ、そろり、そろりと、時間をかけて歩いた。
帰宅すると、青い顔をした母が、私を待ち構えていた。教室から、私が来ていないと電話が来て、何が起きたのかと、心配していたらしい。
「ハンカチ、忘れちゃって、取りに帰ってきたの」
その一言で、母は何かを感じたのだろう。
それ以上、何も言わずに、教室にお詫びの電話を入れてくれて、その日のレッスンは休む事を伝えてくれた。
私が教室を辞めたのは、それからすぐの事だったと思う。
「もっと小さい頃から始めたら、違ったかもしれませんけど、はこべさんの歳からでは、なかなか難しいですし、仕方がないですね」
先生がそう言っていたと聞いて、私は、そうか、と、思った。
そうか、私には、最初から無理だったんだな、と。
ピアノを弾けたら素敵だな、きっと楽しいだろうなあ、なんて、そんな気持ちだけで、簡単に始めちゃ駄目だったんだ、と。
その思いに、ずっと縛られてきた事に気がついたのは、割と最近の事だ。
楽器にも楽譜にも苦手意識を持ったまま、四十年が経過して、やっと気がついた。
私はもう、小学生じゃない。大人過ぎるくらい、大人だ。あの頃のピアノの先生よりも、ずっと。
過去に縛られる必要は無い。幾つになったって、淡い憧れだけで、簡単に何かを始めて良い筈だ。
鍵盤と楽譜を入手して、一年半。
二オクターブ半しかない小さな鍵盤で、弾けるところだけを、ぽつり、ぽつりと弾く自己流ハノンは、ようやく二曲目だ。
だけど、楽しい。
ふと思い出した時、気まぐれに、ダイニングテーブルに小さな鍵盤を載せ、電源を入れる。背筋を伸ばして、台所の椅子に腰掛ける。
すっかり忘れていた、ピアノの先生の教えが、ぼんやりと蘇る。
確か、自分と鍵盤の間は、握り拳ふたつ分、空けるので良かったかな? 手の形は、卵の形だったっけ? 天井から、手の甲を糸で吊るしているイメージ、だったよね、多分?
ぼんやりとした記憶が、合っているのか、間違っているのか、分からないまま、そっと鍵盤に指を落とす。
あちこちつっかえながら、ぽつり、ぽつりと奏でる音は、曲としては不完全だ。でも、一年半前と比べると、僅かながら滑らかになっている。
それが、楽しい。
ねえ、九歳の私。
ピアノを弾けたら素敵だね。きっと楽しいだろうね。
あなたの淡い憧れを、五十歳を過ぎた私が、叶えられるかどうかは分からない。
でも、ゆっくりと、楽しんでみるよ。
沢山つっかえながら、ぽつり、ぽつりと、音を奏でる時間が、今は、とても幸せだから。
★おまけ 一年半前のInstagram。
(夢溢れてます)
お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。