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川が流れていくように

「あなた達は、神様に選ばれて、この学校へやって来たのです」

 高校の入学式での先生の言葉。第一志望を落ちて、仕方なく入学したすべての同級生が「いったい何を言っているのか」と思ったに違いない。

 もちろん私も思った。

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 第一志望は少し高望みだったのは、自分でも分かっていた。

 進路を決める際の模擬テストで、かなりいい点数を取ったのも、自分ではまぐれだと知っていた。でも、周囲の大人は、そうは思わなかったようだ。

 自分の実力より、偏差値の高い高校を勧められた。私に異存は無かった。学区内の公立の高校で、女子校だったのは、その学校だけだったから。

 そう、女子校というのが志望の最大の理由だった。

 もちろん先生は、滑り止めの学校も幾つか勧めてきた。私自身、第一志望の学校に本当に行けるものなのか、正直、自信は無かったので、滑り止めに私立の女子校を選んだ。

 選んでおいて良かった。結局そこが私の母校になった訳だから。

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 とにかく、男子の居ない学校に行きたかった。

 中学校で学年のほぼ全ての男子から、いじめに遭っていた。身体的な暴力を振るわれた訳ではない。でも、言葉でしつこく攻撃をされて、疲れ切っていた。

 いや、あのね、集団を組んで、人に面と向かって、「死ね」とか言っちゃ駄目ですよ。私が本当に死んだりしたら、きっと後味悪かったでしょう?

 捉え方は人それぞれだ。大した事では無い、という言い方も出来る。実際、ばい菌扱いという手段は、中学生にしては幼い。罵声も「汚ねえ」「気持ち悪りい」「死ね」以外のバリエーションは殆ど無かった。

 そう、大した事では無いのだ。だから平気だと思っていた。でも。

 毎日しつこく繰り返される、それらの言葉に、本当は深く傷ついていた。自分で思っていたよりも、深く。大した事では無いはずの事に、傷ついていたなんて、かなり最近まで、認められずに生きてきた。でも、本当は。

 ただ、当時の私は、平気だと思っていた。

 平気だと思わなければ、自分を保てないから。その事には、絶対に気が付かないようにしていた。当時の私は、本当に、平気だと思っていた。

 家族は皆、私の味方で支えだった。帰宅すれば、楽しい時間が待っていた。家族のお陰で、何とか毎日をやり過ごす事が出来た。

 ただ、いつも疲れ切っていた。

 だからとにかく、男子の居ない学校に行きたかった。

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 第一志望が高望みだと、分かってはいたけれど、合格発表に自分の名前が無いのを確認したら、やはり悲しかった。

 女子高である、という以外に、志望動機は無く、特別な思い入れは無い。

 でも悲しかった。やはり自分を否定された気分になったのだろう。

 そして、多分、偏差値の高いその学校に合格する事で、私をいじめた男子を見返したい、と、何処かで思っていたのではないかと思う。叶わなかったけれど。

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 母校になったのは、キリスト教系のミッションスクールだった。そこもまた、女子校である、という以外には、志望動機はなかった。

 特別な思い入れは無かった。少なくとも入学するまでは。

 入学初日は散々だった。生まれて初めてのバス通学で、混雑に揉みくちゃにされ、バス酔いを起こした。

 学校に向かう路線は、何故あんなにやかましいのだろう。乗り合わせている生徒達は、全員が大声で喋りまくっているから、バスのアナウンスが何も聞こえない。

 バス酔いでふらふらになっていたので、初日の事は断片的な記憶しか無い。入学式(いや、多分、入学礼拝、と呼ばれていたと思う)の事も、あまりちゃんとは覚えていない。

 でも、冒頭の先生の言葉は、今でも忘れられない。

「あなた達は、神様に選ばれて、この学校へやって来たのです」

 いや、あの、私がここに来たのは、第一志望を落ちたからなんだけど……さすがキリスト教系ミッションスクール……。というくらいしか、その時は感想が無かった。

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 ところが今は、先生の言葉は、あながち間違いでは無かったのかも、と、思うようになっている。キリスト教徒になった訳でもないのに。

 女子高というだけが志望動機だったその学校は、自由な空気に満ち溢れていた。呼吸するだけで嬉しい気持ちになるくらい、伸び伸びと過ごせた。

 中学校時代は、学校で笑わないように、細心の注意を払っていた。「うわ、こいつ、笑いやがった、気持ち悪りい!」なんて言われるのは、本当に面倒臭いから。

 でも、高校生活は、朝、学校に向かうだけで、顔がほころんでくるのを抑えられなかった。自分の笑顔が気持ち悪いとか、気持ち悪くないとか、そんな事を気にしないで笑えるのって、なんて楽しいんだろう!

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 高校一年生のクラスは、全員が個性の塊だった。

 仲良しグループみたいなものは、それなりにあった。でも、スクールカースト、とか、派閥、とか、そんな言葉とはあまり縁が無かったように思う。

 元気な子も、おとなしい子も、お洒落な子も、校則通りの着こなしを崩さない子も、スポーツ少女も、おたくも、それぞれに個性的だったけれど、みんな素直で率直で熱い子達だった。

 そしてみんな、よく笑っていた。先生に、うるさい、静かにしなさい、と、注意されながら。

 一生の親友にも、高校の同じクラスで出会った。いやあ、考えてみたら、出会って三十年以上が経つんだねえ、うわあ、なんて言いながら、今も、会う度に笑っている。

 バス通学にもすぐに慣れた。バスの中のおしゃべりにも、すぐに慣れたし、同じくらい大声で喋りまくる、うるさい生徒達に仲間入りをした。

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 朝礼というものが無く、毎朝、礼拝というもので始まるのにも、その内、慣れた。

 必修科目の授業の中には、「聖書」と言う科目もあった。ほぼ全員が、キリスト教のキの字も知らずに入学してくる。先生方も心得ていて、初心者が入りやすいように、宗教学というよりは、宗教哲学、というものに近かったと思う。

 礼拝や、聖書の授業を受けても、キリスト教徒になることは無かった。けれど、神様というものについて、自分自身というものについて、愛というものについて、自分なりに深く考える時間を持った事は、その後の人生観に、やはり影響を与えている。

 私の人生観にもうひとつ大きな影響を与えたのが、演劇だ。演劇に出会ったのも、この学校だった。

 あの高校生活が無かったら、今の私はどこにも居ない。

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 神様に選ばれた、という言い方は、正直、今でもしっくりこない。キリスト教徒になった訳でもない。

 だけど、川が流れていくように、私は母校にたどり着き、そして、救われた。それは本当のことだ。

 あの学校に入学出来た事を、心から感謝している。

 何に?

 私を運んだ川の流れに。

 それは確かに、神様に、としか、言いようが無いのかもしれない。

お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。