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季節の声

虫が苦手だ。

もっとはっきり言うと、ほとんど生理的に無理だ。

外で見かける分には、まだいい。
チョウチョが飛んでるなあ、とか、トンボがいるなあ、とかは、まだ、大丈夫。
ハチはちょっと怖いし、蜘蛛の巣はできたら自分の家や所有物とは無縁のところにあってほしいけど、まだ、外なら我慢する。
ミミズが干からびていたら避けて、蝉がひっくり返っていたら慎重に距離を取れば良いのだ。

問題は、家の中だ。
これはもう、サイズの大小に関わらず、どんな虫も基本的には無理だ。
見つけた瞬間ゾワゾワと背筋が凍り、指先が冷たくなる。豆粒どころか砂粒程度の虫でも、「そこにいる」と認識した時点でダメだ。「いる」と気づいたことで、「今気づいていないところにも無数の細かな奴らが潜んでいるのでは」と意識するからかもしれない。とにかく、無理だ。

数ヶ月前に引っ越しをした。
オートロックのマンションの3階の住まいから、オートロックなしの2階。ベランダ側にはずらりと植え込みがあって、等間隔に背の高い木が植えてある。目隠しの意味合いなのかもしれないが、これが多分、私的には良くない。これまで通りの防虫対策をしているにも関わらず、このわずかな期間で家の中に侵入してきた虫は数知れず。布団の上を飛び跳ねてた小さい蜘蛛を見かけた時は「ギャッ」と声が出たし、寝ようとしてシーリングライトのカバーの中を飛び回ってるシルエットに気づいた時には恐怖で眠れなくなった。

虫は苦手だ。
なんなら生きてなかろうが、無理だ。
家の中でご臨終なさっていた場合、そのご遺体を誰がどう処理すると言うのか。私には無理だ。残念ながら、夫にも無理らしい。
某メーカーのG対策グッズの一覧の中に、「とにかく見たくない方向け」と「効果を実感したい方向け」があって戦慄した。そんなもの、見たくない一択である。

しかしながら、何度も言うが、「外にいる分には」いいのだ。蝉の声を聞けば「ああ夏だなあ」と思う程度の情緒は持ち合わせている。
今年も家の周囲で、まばらながらも何種類かの蝉の鳴き声を聞いて、夏を感じながら過ごしてきた。

つい先日のことだ。
管理会社に頼んで、水道の点検をしてもらっていた。つつがなく点検を終えて説明を聞き、業者のおじさんを見送って、何の気無しにベランダの方を見た時、私は自分の目の端がとんでもないものを捉えたことに気づいてしまった。

ベランダで、蝉がひっくり返っている。

虫は苦手ゆえに種類には明るくない。シルエットとサイズからなんとなく、「蝉だろう」と思った。
蝉のサイズを想像してみてほしい。蚊よりも大きい虫には到底太刀打ちできない私のような人間にとって、あまりに大きい。大き過ぎる。しかも、生きている。生きて、もがいている。

場所も悪い。
洗濯物を干しているベランダの端、ちょうどエアコンの室外機の排水が流れている水の上にいるのだ。虫にとって水がある場所がいいのかわるいのかはわからないが、なんだか良くはなさそうだ。このまま放置したら、ベランダでご臨終なさるのではなかろうか。

とっさに、さっき帰ったばかりの水道のおじさんのことを思った。どうにかして戻ってきて助けてくれないだろうか、と、非常識なことを思ったが、子どもたちを残して家を飛び出して車を探すわけにはいかないし、業者とのやりとりは夫がしていたのでおじさんの電話番号もわからない。おじさんが引き返してくる可能性は0だ。

窓ガラス越しに、対象をそっと見守る。静かに、時折もがいているのがわかる。息も絶え絶えになっているのではないか、とハラハラする。6歳の子どもに「どうしたの?」と聞かれたので、「虫さんがいるの」と答えた。2人で静かに様子を眺めて、「どうする……?」と話し合う。6歳さんも虫は大の苦手だ。

とにかく、一番嫌なのは家の中に入ってくること。
その次が、洗濯物にくっついてしまうこと。
そして、その場で息絶えてしまうことだ。
ベランダで絶命されてしまった場合、風化するに任せるわけにもいかないし、虫が苦手な一家には荷が重すぎる。

以前、SNSで「セミファイナルを見かけた時は」という対処法を挙げてある方がいた。曰く、蝉は一度ひっくり返ってしまうと自力では元に戻れないらしく、うっかり地面に落ちたが最後、道端でセミ爆弾と化してしまうのだという。
どこかに掴まれるようにしてあげることで体勢を立て直し、飛び立てると解説されていた。
ならば、何か長い棒で突いてやれば良いのではないか。

私は家の中に放置されていた細い突っ張り棒を探し出した。6歳がそれを見て、「いいねえ、いい考えだね」と言った。
限界まで伸ばして、網戸を細く開ける。
棒だけがギリギリ通る隙間から、そーっとつついてみた。足がモゾモゾと動く様子に、気持ちが怯む。やはり、虫は苦手だ。気持ち悪いと思ってしまう。
何度かもがいた蝉(仮)は、それでも棒に掴まって向きを変えた。一度は滑って再度水に落ちたが、その後きちんと掴まるのが見えた。
私はそのまま棒をベランダの外に突き出す。

飛んでけ、飛んでけ。

祈るように軽く棒を振った。
そっと手を引くと、棒の先にはもう、何もいなかった。

ほっと息をつく。手が震えていた。
母にはよく、私が虫を見つけて大騒ぎするたび、「あんたの方が虫より大きいんだから」「虫の方がその声にびっくりするわ」と呆れられるが、図体が大きかろうと怖いものは怖いのだ。
どうにかなってくれたことに、心底安堵した。

あれから数日、相変わらずの猛暑が続いているが、蝉の声はまた一段と小さくなったように思う。
夜になると、窓の外からは鈴虫だか松虫だかの声が聞こえる。
ずっと夏が続くような暑さの中でも、季節はちゃんと進んでいるらしい。

どうか、すべての虫たちよ。
私の生活スペースにはできれば近づかないで、外の世界で暮らしてほしい。
遠くの鳴き声くらいなら、少しは愛でられそうだから。

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