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トヨタプロボノ体験記 #3

こんにちは!未来づくり事業部・コーディネーターの堀越です。この記事では、トヨタ自動車に所属しながら、プロボノとして南小国町のプロジェクトに関わっていただいた3名の方の体験談を紹介します。

イノベーションの源泉、プロボノで生まれる社会貢献の様子を、参加者のストーリーを交えてお伝えします。

↓ 前回まで(#1・2)の体験記はこちら ↓

=前回までの内容=
①そもそもプロボノって?
②なぜトヨタの方と出会うことになったのか
③どのようにプロジェクトを進めてきたのか
④プロボノメンバー松浦さん・山田さんの体験談

今回は最終回。
プロボノメンバー3人目の方の声をご紹介させていただきます。


「南小国町にプロボノで行ったら、人生を変える出会いがあった」

南小国アンバサダー:本田さん

私は愛知県在住です。出身も静岡県で南小国町とはなんの関わりもありませんでしたが、社外の人、別地域の人と関わりを持ってみたくて、ほんの軽い気持ちでこのプロジェクトに参加しました。
今まで自分のサラリーマン人生で得られたものを活かすことができるのか、どちらかと言えば、俺が困りごとを何とかしてやるくらいのうぬぼれた気持ちで居ました。
しかしそこで出会った人たちは、今まで見たこともない、不思議な人たちでした。
そんな人たちに出会うと人生観が変わります。
まずは出会った人達を簡単に紹介します。

ミナミオグニ ⇔ トヨタでやりとりした前半

①都会から夫婦で移住して街づくりの中心にいる方
「この町おもしろそうだったから」ってそれだけで子どももいるのに移住しちゃうって、すごいですよね。好奇心と行動力って大切なんだ。

②「地球が滅びても阿蘇だけは残したい」と言ったコーディネーター
若くて小柄で小さな女性が「本業は農業です」って。親御さんの農園を手伝っているのかと思いきや、熊本では超有名な青年実業家。
大切なのは強い想いと練られた構想、それを伝える言葉だと身に沁みました。

オンライン・ミーティングを重ね、やっと現地でお会いできた瞬間

③西日本唯一の羊飼いのコーディネーター
成功と失敗を繰り返しながら、自由に生きているように見えて、こんな生き方もありなんだと思いました。実は、阿蘇の草原を守るために羊を飼い始めたらしい。
ふざけているようでも、信念のある人。こういう人には心を許してしまいます。

④南小国町と結婚したシングルマザーのコーディネーター
(人生の変化で)南小国町に住む必要がなくなっても、南小国に住むことを選択されたのには、地域も人もその人も、みんながみんなを助け合える環境があるからですよね。
昔の日本ってどこでもこんな感じだったんだろうなと思えました。

南小国町で活動する地域おこし協力隊員の工房を訪ねて
「ものづくり」に関わる人同士のインスピレーションの交換
デジファブから制作された駒で(本気の)対決

⑤小国杉に見せられた芸術家
子どもの素直な心と鋭い感性を持ち合わせて、歳を重ねても今のままで居てほしいと思えました。作品は独創的で芸術家。真剣に取り組む姿勢に自分もがんばろうってエールをいただきました。

⑥里山に魅せられた元保育士
チェーンソーを持っている写真と本人、元保育士の肩書が全くつながりません。
でも、森を愛する純粋な想いに、私の邪な考えを反省させられました。

寒い季節でした!火を囲んで語らう時間。

私はプロボノとして、何をしに南小国町に行ったのだろう。
結局、自分のプラスにしかなっていない。

いっしょに活動している中で、60歳以降に実現させたいことのコンセプトが明確になり、一歩踏み出せそうな気になってきました。

こういうのが越境学習の醍醐味なのかな。
もし、南小国町の方にとってもプラスになっているのなら、こういう活動はやらない手はない。と思いました。


本田さん、ありがとうございました。

オンラインでの打ち合わせと、2回の南小国町でのフィールドワークを重ね、4ヶ月間での企画完成へ。
完成期には、越境イベントにてプロボノの3名の方にも、南小国町の企業研修モニターツアー経験者として、体験談の発表や商談ブースでの説明を担当していただきました。

南小国町のネームが入った〝 はっぴ 〟を着て登壇!

短い期間でしたが、こうして関わりを深め、本音で考えを伝え合えたこと。
初挑戦のプロジェクトの中、とても有意義な経験となりました。

私たちの挑戦の火種は、広がっているでしょうか?
3名の新しい仲間の皆さんには、「南小国アンバサダー」の肩書の名刺を持ち帰っていただきました。
南小国ではない日本のどこかの町で、南小国に関わってくださった皆さんも共に暮らし、働いている。

こころづよい繋がりを得て、私たちは今後も挑戦をつづけてゆきます。



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