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1人で生きて気付いたこと、コンクリートの海にて(1)


最近、目を向けたことがたくさんある
私は友達がたくさんいるということ
私は自分に重しを載せる癖があるということ
私は神経が細いところがあるということ

今まで気づいていたくせに、目を向けていなかった事実たちについて

友達からの愛こそ、無償の愛なんじゃないか

私は「友達」というふわっとした縛りのない曖昧な存在が苦手だった(今も苦手意識はある)
「恋人」と違って、互いが唯一無二になることはなく、好きだという宣言もなく、ゆるゆると続く関係
そんな波の上のような、足元の覚束ない不安定な人間関係が、
簡単に崩れてしまいそうな脆さが、
私は怖くて、緊張でいつも気が休まらなかった

例えばその辺のベンチで友人と他愛もない会話をするとき
私の頭の中は、
こんなことを言ったら嫌われてしまうんじゃないか
今は笑うべきタイミングだっただろうか
私は友人の求める私としてうまく振舞えているだろうか
沈黙は悪
退屈に感じていると思われてしまうからしゃべり続けなければ
という、失礼極まりない思考で溢れかえっていた

とにかく嫌われないように、ミスをしないように、
いつだって緊張感をもって会話に挑んでいた
結局、そんな姿勢で挑む会話が弾むはずもなく、力んだ体が海に沈むように、回を重ねるごとに深みにはまり、息苦しくなっていった

そんな私は、去年の秋から大学生活のほとんどを1人で過ごすようになった
適当な相槌さえ打てない人間に、友達なんてできないんだと
諦め半分、自虐半分で大学を闊歩していた

1人は楽だった、気を使わなくていいから息苦しさも煩わしさも感じない
ただ、常にひっそりとした静けさみたいなものが横にいて、分厚い雲に覆われた空のような、重苦しさから逃れられなかった


時間は過ぎ、今年の夏は1ヶ月間東京で過ごすことになった
慣れない土地で、緊張感を伴うインターン生活
大好きな恋人と離れて、本当に1人の生活をした時
今までにない寂しさを感じた

今までは「恋人」という存在で満たされていたはずの場所が
「恋人」だけでは埋まらない

他愛のない話を人としたい
ゆっくりと積み重なる悩みを吐露したい
盲目的な甘い言葉ではなく、客観的で冷静な意見を聞きたい
と、強く感じた

「恋人」というしっかりと土台を築き上げた関係は、安定しているから
2人だけの心地の良い世界に閉じこもってしまう
そうではない、理性のある人間を求めた時
それが「友達」という存在なんだ、と気づいた
私はiphoneを握り、こんな私を「友達」だと言ってくれる人々にメッセージを送った


不安定で、縛り付けていない、自由で柔軟な関係性

そんな「友達」からの
「あなたは大丈夫」
「あなたを信じている」
「あなたの選択を尊重する」
「あなたを応援している」という
励ましや信頼は、なによりも純粋な、愛だ、と思う

give and takeじゃない、もしかしたらgiveだけになるかもしれない
でも、そのgiveだけの行為を
無駄だとか、もったいないとか、そんなことを感じさせない「友達」という距離感は、

もしかしたら、とても心地の良いものなのかもしれない


私は私の「友達」に
今まで私に愛を与えてくれた人々に
恩返しをしたい

どんな形になるかはわからないけれど
私の「友達」は、楽しみに待っていてほしい




長くなってしまったので、続きはまたいつか



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