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「生活する」ということ

社会人になり、一人暮らしをしていた数年は、とにかく「孤独」でした。
感情の起伏が乏しくなり、常に満たされない気持ちを抱えていたことを覚えています。


それは、「ひとりだった」という事実にプラスして、「生活する」ということへの意識が大きく影響していました。


振り返ると、一人暮らし時代は、「近所」という概念が希薄な時期でした。
自宅を出て行く先は、駅かスーパー、コンビニ、ドラッグストア…
決まった場所を往復するだけの道しか知らずに過ごす日々でした。



買うものは、とりあえずの間に合わせ。
お店の人とも、買ってそれきりの関係。
お金の行き先なんて、考えてもいませんでした。



そんな私の部屋は、「自分とはつながりのないもの」であふれていました。



そこはかとなく物足りない日々を送る中で、「生活する」という本質に目を向けたきっかけがあります。
高校時代の友人の家に遊びに行った時のことです。



そこには、「丁寧な暮らし」そのものが広がっていました。
家の中にあるものが、何一つ、適当に済ませている印象がなかったんです。
1つ1つの家具や食器、日用品を、自分の意思で選び取っていることがよく分かりました。


もてなしてくれた料理は、心満たされる美味しさでした。
お菓子はフェアトレードのもの。
食材も、八百屋さんや、スーパーの生産者さんの顔が見えるコーナーで購入していました。


そして、住む土地の歴史や近所の様子をよく調べていたんです。
家賃と便利さに重点を置いて物件を選んできた私は、とても驚いたと同時に、「これが生活するということなのか」と尊敬の念を抱きました。



素晴らしき友人の部屋は、いつまでも佇んでいたいほど、心地よい空間でした。



それから数年、私も友人を見習って、買い物の姿勢を見直してきました。




買う時には、心から欲しい商品か確かめる。
野菜は八百屋さんで買うようにする。
お金の行き先を意識する。
近所のお店や風景を良く知る。



1つ1つを自らの意思で選び取り、背景に想いを馳せて過ごすうちに、少しずつ、心が豊かになってきたことを実感します。



自宅には、制作した方や背景が思い浮かぶものが増えてきました。
八百屋さんをはじめ、近所の馴染みの店が増え、ちょっとした会話を楽しむ機会がたくさんできました。



繋がりがたくさんできて、心満たされるものに囲まれるうちに、「孤独感」は薄れてきました。



心にぽっかり穴が空いても、気づいたら復活していることが多くなったんです。
きっと、今まで選び取ったものたちが、そっと埋めてくれているんだと思います。



自ら選び取ったものと生きていくこと、身近なご縁の中で生かされているという意識が、「生活する」という行為を充実させてくれます。



「生活する」という原点から見つめ直すことが、心を満たしてくれるのだと気づくこの頃です。


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