マインドフルネス的「間をとる」とは… ▶︎ コロナで「間をとらされ」わかったこと。
▶︎「全ての道はローマに通ず」のごとく、
「全ての学びはマインドフルネスに通ず」と感じる今日この頃。
▶「風の時代」だからか・・・見えないエネルギーを味方につけることが、普通に(変な人扱いされず)語られるようになった気がする。
そんな私は雑念でできており、マインドフルネスが大の苦手。1分すら長い。
▶マインドフルネスでは、
今、この瞬間に、自分の内側で起こっていることに意識を向けるため、
「今ここにいる自分は、どんな感じだろう?」なんて自分に問いかける。
活動とからだを停止させて、意識のすべてを今に向ける。
そう、「間をとる」っていうやつ。
▶この私は、何かがあると条件反射的にからだが動いたり、
自動反応的に思考してしまっているけれど、それらにブレーキをかける。
そうして「間をとる」ことで、
新しい反応を選択できたり、新たな可能性が生まれるのだという。
▶はて、中年の私にどんな可能性が残っているというのか。
ぜひそれを獲得したいと思うものだから、
マインドフルネスを生活に取り込んでいこうと思うのだ。
▶ところで、
この「間をとる」の「間」って、「時間」の事を言うんだろ…と考えがちだが、
「時間」と「空間」と「人間関係」の3つの「間」がある。
▶時間に限らず、これらすべての「間をとる」としたら、どんな感じだろう。
…と天井を見上げた時、
2020年春の初めてコロナの緊急事態宣言下で活動の自粛が強制された時の感覚が思い出された。
▶それは、生まれて初めて「間をとらされた」経験。
「時間も空間も、人間関係」も自由を奪われた時、
意外にも、それを柔軟に受け入れている私がそこにいた。
▶思えば、この「間をとらされた」経験は、
その後、私がライフワークとして取り組む「対話」の大切さを強めてくれた。
これが、例の新たな可能性を気付かせる出来事だったのか。
▶「対話」では、空間と時間、人間関係を全て大切にし、自由なムードの中で、真剣に語り合う。
だからといって、マインドフルネスと対話の精神は決して真逆なんかではない。
全てはマインドフルネスに通じているのだから。
▶︎マインドフルネスは、日本で瞑想方法のように訳されがちだが、
本当の意味は「気づいている」ということ。
「間をとる」は、「間をつかむ」と理解してもよいかもしれない。
どんな時も、心を整えて
マインドをフルに、素敵な一日を!!★
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